南北朝時代にさかのぼる「旧宮家」

かつて朝廷が北朝と南朝に分かれて対立し二つの天皇が並び立った南北朝時代、北朝に崇光天皇(1334~1398)という天皇がいました。この崇光天皇の孫の伏見宮貞成さだふさ親王(1372~1456。いわゆる室町時代)という皇族に2人の息子がいて、兄の方が現在の皇室の祖先の後花園天皇となる一方、弟とその子孫はそのまま「伏見宮家」という家を継承していきました。

松浦辰男編「皇族要覧」、宮内庁・皇室>天皇系図を基に制作

この「伏見宮家」の男系の子孫たちからは天皇は出なかったものの、皇族の地位を代々維持し続け、さらに「久邇宮家」「東久邇宮家」「竹田宮家」などの家に分かれ、最終的には第2次世界大戦後の1947年10月14日に皇族の身分を離れて一般国民となったのです。

公職についた有名な人の例としては、終戦直後に首相を務めた東久邇稔彦氏や、JOC元会長の竹田恒和氏がいます。

若干ややこしくなりましたが、旧宮家の子孫は、現在の皇室の室町時代のご先祖である後花園天皇の弟の子孫というわけです。しかも父から父へと代々継承されてきた、男系子孫です。

旧宮家が皇族になることの難点

この旧宮家の子孫の人々に皇族になってもらえば皇族不足の問題が解消できるということで話題になっているのですが、この案もいくつか重大な難点があります。

まず、現在の旧宮家の子孫の人々は、あくまで先祖が天皇や皇族だったというだけの一般国民でしかなく、憲法により完全な基本的人権を保障されているということです。

選挙権や被選挙権もあれば、職業選択の自由、居住移転の自由、信教の自由などが保障されており、何らかの職業に就いて社会生活を送っている人もいくらでもいます。

このような人々の意思を無視して、勝手に一般国民としての自由や権利を奪い取って皇族にすることなどできるわけがありません。

そこで同意をしてもらって養子にするという案が出てきたのです。

たとえ養子になることに同意しても…

仮に養子として皇族になることに同意する人がいたとしても、その人が既に結婚して子もいる場合、妻や子はどうするのかという点がまず問題になります。

妻と子がすんなり同意するとは考えにくく、また妻と子が反対して本人だけが皇族になることに同意するなどという事態も常識的にみてありえないでしょう。ちなみに有識者会議の案としては、既に子がいる場合、子は皇族とならないことを想定しています。

そうなると独身の人(しかも若い人)がふさわしいということになりますが、人生これからという立場の人が、果たして不自由な身分にわざわざなろうと思うでしょうか。

さらに、既に会社員などの職業に就いていたら辞めねばならないのかとか、住宅などの私有財産がある場合はどう扱うのか(憲法上、皇室財産は国に属することになっています)など、難問がたくさん出てきます。