メディアにとって格好の標的

何よりも、仮に皇族になることに同意するとなったら、メディアにどのような扱いを受けるかは(先ほどの女性皇族の結婚相手の場合と同様)想像がつくでしょう。

あらゆることが暴き出され、何かトラブルでも見つかれば(というより、トラブルでなくても、話題になるネタさえあれば)徹底的なバッシングを受けることになります。

とりわけ旧宮家の子孫といっても1947年10月14日(大正天皇の皇子たる秩父宮・高松宮・三笠宮を除く11宮家51名が皇籍離脱した)より後に生まれた人は、すべて生まれた時から一般人として生活して社会の中でさまざまな経験をしてきたのであり、別に一般の世界から切り離されたお屋敷みたいなところで特殊な生活をしていたというわけではないのです。

一般国民の中に身分差別を持ち込むのか

また、皇室典範の条文をどのように書くかという点も問題です。皇室典範も法律の一種ですが、法律の条文に「昭和22年(1947年)10月14日に皇族の身分を離れた者の男系の子孫については、養子とすることができる」みたいな感じで書くのでしょうか。

しかしこれは、法律の中で、一般国民の内部に、生まれによる差別(「皇室の養子になれる身分」と「そうでない身分」の差別)を明確に持ち込むことを意味します。

日本国憲法の次の条文をここで見てください。

第十四条 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
② 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。(以下略)

旧宮家の子孫も現在は「国民」です。先祖が過去の皇族だろうと武士だろうと農民だろうと、「国民」はすべて「法の下に平等」でなければならないのに、先祖によって扱いが違うことを法律の中にハッキリ書き込んでしまうことが許されるでしょうか。

日本国憲法が認めている唯一の身分差別は、天皇・皇族と一般国民の間の違いだけであり、一般国民同士の中では、先祖が誰であろうと、「法の下に平等」でなければならないはずです。

この問題を避ける方法としては、皇室典範の条文では特に血筋を限定せずに誰でも養子になれるかのような書き方にしておいて(つまり「法の下に平等」)、実際の運用のレベルで旧宮家の子孫が養子となってくれる話が持ち上がった時だけ皇室会議で承認する(それ以外の人が「皇室の養子になりたい」と言い出しても、ただ単に無視すれば良いだけ)ということが苦肉の策として一応は考えられるでしょう。

ちなみに皇室会議とは、男性皇族の結婚などについて審議する機関であり、内閣総理大臣、衆議院議長、最高裁長官、皇族2名などによって構成されます。

現在の天皇家と血筋が離れすぎている

さらに別な問題としては、旧宮家の子孫の人は現在の天皇家とあまりにも血筋が離れているという点も指摘されています。先ほど述べたように、旧宮家の子孫の人々の父方(男系)の祖先をさかのぼっていっても、さきほどの室町時代の伏見宮貞成親王までさかのぼらないと、現在の天皇家と共通の男系祖先に至らないのです。

細川護煕元首相
細川護煕元首相(出所=首相官邸ウェブサイト

遠い祖先のところで過去の天皇から分かれた子孫でいいというのであれば、別に南北朝時代の天皇の子孫に限る必要もないのではないでしょうか。

例えば平安時代の桓武天皇や清和天皇や村上天皇などの子孫は、桓武平氏や清和源氏や村上源氏であり、その血を引く人を探せば日本全国に膨大に存在するはずです。

有名な例としては、細川護熙元首相が挙げられるでしょう。細川元首相は大名の細川氏の子孫ですが、細川氏というのはもともと清和源氏ですから、清和天皇の子孫なのです。

こうしてみると、実際問題として旧宮家の子孫の人に皇族に戻ってもらうというのも多くの難点を抱えた選択肢のように思われます。