「安心」に飛びつく前にその中身を考えるべき
4つ目は、そもそも一般人には検査結果が解釈できないことである。
「陽性」は「感染」とイコールではないし、「陰性」は「非感染」を意味しない。これを具体的にみるため、これまでに最も流行が激しかった2021年8月中旬の東京を考える。この時期、捕捉されていない潜在的感染者の人口当たりの割合(有病率)は0.9%と推定される(※)。
この状況下、抗原定性検査(感度50%、特異度99.9%)では、陽性となったうちの18%は実際には感染しておらず(つまり偽陽性)、検査陰性となった中で実際には感染している確率は0.5%であったということになる。陽性結果については、偽陽性をそのまま感染者として扱えば不必要な行動制限などの人権上の問題が生じ、陰性結果については、感染者である確率が元の有病率の0.9%から0.5%に下がるだけでしかないという不経済の問題が生じる。
そしてさらに注目すべきことに、不必要な行動制限と不経済が検査によってもたらされるというこの傾向は社会全体の流行が下火になるにつれてより顕著となる。
原稿執筆時点の11月下旬の感染者数は、夏のピーク時の100分の1以下である。仮に有病率を0.01%として上記と同じ計算をすると、陽性となったうち実際に感染しているのは4.8%(すなわち陽性となっても95%以上は偽陽性)にすぎない一方、検査陰性という結果を得れば99.995%が確かに感染していないことになる。
つまり、1万人に1人の感染者もいないような2021年秋のわが国においては、抗原定性検査が陽性だったとしてもそのうち95%以上は実際には感染しておらず、検査陰性であった者の非感染率99.995%と実はあまり変わらない。
※日医総研リサーチレポート No.118「新型コロナウイルス感染症の病原体検査について」
安心したくても検査する意味はほとんどない
この数字をまだ検査していない人の非感染率99.99%と見比べても、検査が陽性であるか陰性であるかに実質的な違いがないことがわかる。要するに検査をする意味がほとんどない。
検査を「症状はなくても安心のため」に用いるという一般市民も少なくないと考えられるが、その安心の中身はせいぜい99.99%が99.995%になるという話である。言い換えれば、無症状者が幾ばくかのお金をかけて買おうとする安心の中身は「検査陰性を確かめることで、感染している確率が0.005%下がる」というものである。
しかしそもそも、多くの国民にとっては流行状況によって検査結果の意味が日々変わるということ自体が理解しにくい。そのため、結局は「陽性=感染」「陰性=非感染」と単純に考えることになるのではないだろうか。これはかなり大きなミスリードであり、ミスリードされたまま社会のあらゆる局面で検査を求めることになれば、社会的活動の負荷だけをもたらすことになる。