――本のなかでは「バーベキュー」をキュレーションのテーマにした例が出てきますね。
その場合、バーべキュー関連でビジネスになりそうなもの、たとえばグリル、レシピ、料理本、エプロン、トング、冷凍肉……は十分にあるのかといったところを見極めるのです。プロになるなら情熱とビジネスを両立させる必要があります。自分が情熱を傾けていることの市場が小さすぎる場合もあります。ニッチが成立するのはイーベイみたいに全体が大きいときだけです。
キュレーションで生計を立てるといっても、大金持ちになることを考えなければ、分野を絞ったサイトを数本運営するくらいでやっていけるでしょう。たとえばテーマをジュエリーと定めたら、ウエディングジュエリー、記念日用ジュエリー、バレンタインジェリーなど、5部門くらいに分けて、それぞれにおいて自分がベストと思うジェリーの情報を紹介していく。あれ、これってけっこういいアイデアですよね。やってみようかな。ともあれ、情熱を傾けることができ、なおかつビジネス価値があるものを組み合わせることが肝心です。
――昨今はキュレーションという言葉がかなり普及しています。いってしまえば、「なんでもキュレーション」ということに……。
たしかにあまり広義に解釈するとその言葉には意味がなくなりますね。ただ、アイデアの世界において、われわれは過渡期にいることは確かです。コンテンツを作るのはどんどん簡単になっていますが、コンテンツを見つけるのが困難になっています。バリューは「つくる人」から「見つける人」にシフトするでしょう。
「キュレーション」という言葉はデジタルの世界ではけっこう使われていますが、小売の世界ではまだあまり使われていません。食べ物やファッションの世界ではほとんど聞かれません。それが変わっていくでしょう。私に言わせれば、キュレーションは、質の高さやアイデアの素晴らしさを生身の人間が選択する行為全般です。よく講演で「自動的にキュレーションができるようになると思いますか?」という質問を受けますが、「自動的でない」のがキュレーションで、自動的にしたらそれはアルゴリズムです。
このあいだチャットで話した男は「コンピュータが芸術まで手がけるようになるのも時間の問題だ」と主張していました。戯曲を書いたり、曲をつくったりもできるようになるというんです。私はそうは思いません。美しいもの、面白いものというのは複雑で、計算で到達できるものではない。チャーリー・シーンのあの滅茶苦茶なパーソナリティはアルゴリズムでは作れませんよ。だからみんなが面白がるのです。