どうしても生活保護を受けたくなかったワケ

「生活保護は絶対に嫌だったんです。知ってます? 生活保護って、子どもにも連絡がいくんですよ。それだけは避けたかった」伊藤さんには、子どもがいた。私が少し驚いた表情を見せると、「見ます?」とちょっと照れくさそうな様子で聞いてきた。

一度、奥の和室へと消えた伊藤さんは、タンスの引き出しをまるごと抜き取って持ってきた。なかには、たくさんの写真が入っていた。

「これが長男、次男、それでこっちが三男。小さい頃のものしかないけど」

誕生日会のようだった。食卓を囲み、5人の家族が笑顔で写っている。しかし今、伊藤さんは一人で暮らしている。家族はどうしたのだろうか。

「離婚しました。7年前に。それで僕は実家に戻ってきて、両親のもとで暮らすようになったんです。だから、ここは私の実家です。子どもたちとは、それきり一度も会っていません」

離婚のきっかけは、その前年に仕事を辞めたことだという。30年近く勤めてきた職場だった。妻は、無職になった伊藤さんを責めることはなく、働きに出て生活を支えてくれた。だが、自分自身が家にいて、働いていないという負い目が募ったと打ち明けてくれた。

「子どもも異変に気づくでしょう。もう高校生くらいでしたから。親父、仕事に行ってないじゃん、何してるのって。なんとか仕事探したんですけど、なかなか見つからなくて。落ち込むし、だんだん居づらくなってしまって」

家族との生活を失い、4LDKの実家に一人で暮らす

50歳を超えていた伊藤さんにとって、再就職のハードルは高かった。ハローワークにも通ったが、面接までたどり着けず、家で過ごす時間が増えていった。それは「父親として、一家の大黒柱でありたい」と願ってきた伊藤さんにとって、恥ずかしくて耐えがたい生活だった。

子どもたちに情けない姿を見せたくない。退職してから半年あまりで、一緒に生活することに限界を感じ、自ら離婚を切り出したという。

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それまで3人の子どもを育てるために、小さなアパートで慎ましく暮らしてきたと、伊藤さんは訥々とつとつと語り出した。家庭を持つようになってからは、趣味だったゴルフをやめた。好きだった飲み会にも行かなくなった。子どもたちが小さい頃は、よく虫捕りに出かけたそうだ。

毎年秋には、5人で山梨県の勝沼に出かけ、大好きなワインを買って帰ることが楽しみだったという。そうした暮らしのすべてを失い、自分には何も残っていないとうなだれた。今、4LDKの実家に一人で暮らす伊藤さんの姿と、笑顔で写真に収まる5人の家族は、あまりに対照的だった。