点数は絶対的評価といっていいのか

偏差値とは、ある集団の平均を偏差値50としたときに、その集団内で自分がどれくらいの立ち位置にいるのかを知るための指標です。ですから、ある集団の中では偏差値80をとれるのに、別の集団に行くと偏差値50もとれないなんて事態も十分あり得ます。

実際、僕が高校生の頃に受けたある模試では、全国偏差値では60程度だったにもかかわらず、校内偏差値が100を突破していました。これは、「全国的に見るとちょっと良い程度の成績だが、学校内ではとびぬけていい成績」ということを表します。

よくテレビで言われる「偏差値○○」ですが、結局どんな集団の中で測った偏差値なのかが重要なのです。簡単な場所でとった高偏差値は、結局見掛け倒しにしかすぎず、中身が伴うものではありません。

一方で、点数はどうか。これは確かに数字という絶対的な評価で下るスコアです。模試Aと模試Bでそれぞれ100点を取ったなら、それらは一見すると等価値に見えます。

でもこれは大きな勘違いです。同じ100点でも、競う場所が異なると大きく意味合いが変わってきます。小学校の算数のテストで50点を取るのと、東大入試の数学で50点を取るのとでは全く難易度が異なるように、どこで争うかによって、やはり点数の重みも大きく変わってくるのです。

「100点を取るのが目的ではない」と気付けるか

東大生が、小学生に交じりながら「今度の九九のテスト、絶対100点取るぞ!」と息巻くのは、ちょっと格好悪く思えませんか。同じように、模試を受ける際にも、その難易度が自分にあっているものかどうかを確認しなくてはいけません。

そのために求められる態度は「100点を取ってやろう」ではなく「自分に足りないところがないか、いま一度確認しよう」です。「100点」という与えられた点数ではなく、その点数が意味するところは何かを気にするべきでしょう。

ですから、実は「100点のテスト答案」というものは、それほど価値がありません。先ほども言ったように、一度100点を取ったテストを再度受け続けるのは、小学校のテストに東大生が参加するようなものになっている場合があるからです。

一回1位を取れたなら、もうそこは戦うべきフィールドではありません。自分にとって簡単すぎるフィールドで戦っても、何も得るものなんてないからです。最初から勝つと分かっている勝負をするなんて、時間の無駄以外の何物でもないでしょう。

そんな恥ずかしいことをしている暇があるなら、もっと上のレベルへ登っていく方がずっと生産的です。そこでは、なかなか苦戦を強いられるかもしれませんが、一方で「自分にできていないところ」がどんどん提示されるので、成長の機会に富んでいるということでもあるからです。