弱きもの人間
   欲ふかきもの
   にんげん
   偽り多きもの
   にんげん
      そして
      人間のわたし

この詩からは、著者のきびしい姿勢がうかがえる。“にんげん”を論じているように見えて、実は自分を表現しているからだ。しかも、書体が尋常ではない。はじめて見たときには、別のひとのイラストかと思ったほどであった。

どの本を手にしたときでも、まず“あとがき”を読むのだが、この本はちがった。作品のすべてを読み終えてから“あとがき”を読んだ。相田が、曹洞宗高福寺の禅僧・武井哲応老師に師事し、仏法を学んだことを知った。

ことばを飾ろうとはせず、すなおに自分にむかって語りかけるような相田の作品に、おなじ苦しみ、おなじ悩み、おなじ悲しみに沈んでいるどれだけ多くのひとたちが、なぐさめられ、はげまされ、力づけられたことだろうか。

経営者ばかりではない。サラリーマン、学生、主婦と、十代の子どもたちから70代のおとしよりまで、相田みつをの作品を愛する人たちの輪は、かぎりなくひろがっている。派手な宣伝をしたわけでもないのに、ちょうど池にむかってポンと石を投げたとき、水の輪が静かにひろがっていくのに似た現象だ。

「ただいるだけで」という作品がある。

   あなたがそこに
   ただいるだけで
   その場の空気が
   あかるくなる
   あなたがそこに
   ただいるだけで
   みんなのこころが
   やすらぐ
      そんなあなたに
      わたしもなりたい

「わたしもなりたい」とねがった相田が、いつのまにか、そうした存在になっていたのである。