放送しているのは、首都圏ではTOKYO MX、テレビ神奈川、テレ玉、チバテレ、BS12。他にメ~テレやサンテレビなど計17局で放送中。ま、そこが一丸となって宣伝できない弱さでもあるのだが。

過去の物語(Season1)を解説しておこう。舞台は1984年。米飯給食が始まった頃、まだ先割れスプーンを使っていた時代だ。

主人公は中学校教師の甘利田幸男(市原隼人)。寡黙というか無愛想で、規律を重んじる厳格な教師と思われているが、実は生徒にも同僚教師にも教育にもまったく興味がない。

©2021「おいしい給食」制作委員会

彼の頭の中にあるのは「今日の給食」のみ。ただし、教師として、そして大の大人としては「給食偏愛」という稚拙さを悟られぬよう冷徹を装っているのだ。

そんな甘利田には苦手な男子生徒がいた。いつも笑みを絶やさず、時折不可解な行動をとる神野ゴウ(佐藤大志)。実は彼も給食をこよなく愛するひとりで、より美味しく食べるための工夫と努力を怠らない。奇想天外なアイデアで給食を自己流にアレンジし、甘利田を驚愕させて、ある種の敗北感を与えてきたのだった。

映画『おいしい給食Final Battle』では、給食廃止の危機を迎え、甘利田と神野は窮地に追い込まれる。ふたりで小さなレジスタンスを起こすも、結果として甘利田は学校を去ることに。その続編が今秋のSeason2(舞台は1986年)となる。

青春ものでもグルメものでもない、ただただ懐かしいドラマ

おっと、真面目に書いちゃったけれど、これが教師と生徒の心の交流を描く青春学園モノと思われたら困る。また、給食をテーマにした新感覚のグルメモノと思われても困る。

そんな、意義や目的が崇高なドラマではない。ただただおかしい。そして懐かしい。

喫緊の環境問題を描く「日本沈没」や、社会や世間の無責任さを描く「真犯人フラグ」に、たかが「給食」が勝てるワケない! と思った方のために、このドラマの魅力を2つにまとめよう。キーワードは「懐古」と「滑稽」。

誰もが対等に語れる給食をテーマに選ぶ戦略性

まず、国民の多くが体験した給食をテーマに据えた新“奇”性は称賛したい。豪華な美食でも隠れ家的グルメでもお手軽コンビニめしでもなく、給食。食生活における経済格差を感じさせず、誰もが「対等」に語れるメシ、それが給食。なによりも重要なのは、舞台が1986年という点だ。

今は給食の問題点が取り沙汰される時代。

ひどすぎる献立が話題となり、ネットでも画像が多数アップされ、「刑務所のメシ」「エサ」と非難されることもある。そういえば、コロナ禍では感染防止のために簡易給食が採用され、コッペパンと牛乳だけでブーイングという話もあった。

感染防止策だけでなく、食育の観点、アレルギー対応食に宗教食の必要性、給食費バックレ問題に「嫌いなモノを無理に食べなくていい」問題など、とにかくいろいろな声が出揃ったのは平成&令和の話。

ところがこのドラマは、給食に関する問題点が浮き彫りになる前の80年代、給食のありがたみを子供も親も教師も感じていた昭和の時代を描く。

ごはんに牛乳を組み合わせる“暴挙”に誰も疑問を覚えなかった時代。商業捕鯨が禁止される前なので、当たり前に鯨肉も登場した時代。子供の口には厳しいトリッキーな組み合わせの謎献立が乱立した時代(おかずにレーズンやパイナップルが頻繁に投入された)。よくかんで食べろと言う割に給食の時間が短い時代。