公共空間で見られること=顔情報が取得されることなのか

現状、私たちの顔情報は知らないうちに収集され、その数はとどまることがない。ある企業はすでに国民の500万人分の顔情報を集積したという。

そもそもSNS人口はとどまることを知らず、多くの人が自身や友人の顔写真を公開モードで晒していることから、ネット上で顔情報は容易に収集可能だ。そうした利用実態を考えると、人々に顔情報を取得されることに抵抗がないのも無理はないのかもしれない。

JR東海は今年の11月から来年の1月まで顔情報を用いたチケットレス化の実証実験を行うことを発表しており、こうした顔認証技術に基づくサービスの提供は今後も増えると予想される。

そのためか、顔情報の収集や識別が行われても、公共空間を移動している以上は他者から“見られている”ことと“顔情報が取得される”ことは同質なのではないかとか、顔情報の取得に抵抗するのは“犯罪を考えている悪い人たち”であって善人にとっては安全な社会になるから問題ない、といった善意の考えも聞かれる。

写真=iStock.com/metamorworks
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こうした顔情報取得規制に対する異論について立ち入って検討しておこう。

異論その1:公共空間だからよいのでは?

他人から隠しておきたい情報と違って、公共空間では他人に顔を見られるのが普通であるから、自宅の中やカバンの中身のように外から見られない場所や領域ほどプライバシー保護の必要は高くはないのではないかとの意見がある。

確かに従来、公共空間では個人情報やプライバシーの保護の必要性は乏しいという考え方が強かった。いわゆる“公私二元論”である。これまでも肖像権侵害訴訟などでそうした区分が検討の要素にされてきたし、捜査機関が被疑者の映像を公共空間で撮影したことの正当化根拠としてこの二元論が使われてきた。

だが、この公私二元論を否定する最高裁判決が2017年にあった。警察がGPS発信装置を捜査対象者に無断で取り付けて位置情報を探索していた事件で、最高裁は「このような捜査手法は、個人の行動を継続的、網羅的に把握することを必然的に伴うから、個人のプライバシーを侵害し得るもの」として警察側のプライバシーの侵害を認定したのだ。

最高裁は公共空間でもプライバシーの侵害を認定

結論として最高裁は、道路上のような公共空間における移動においても、“私的領域”が侵害されうると考えたのだ。つまり、公私二元論に終わりが告げられることとなった。15人の裁判官による全員一致の意見であり、反対意見が一人も付かないという珍しいケースだった。公共空間でも個人情報の収集は規制される時代になったのだ。

この例からわかるように、公共空間だからといって顔情報を取得しても問題ないというのは誤りである。これを許容すると、最高裁が指摘した「私的領域への侵入」と同じような権利侵害となるだろう。