男女の色分けは世界的に見て標準的な区別方法ではない

これは色分けされたトイレに対しても同じことが言える。

先ほど述べたように、海外の人にとってはトイレの青と赤の色分けは決して一般的ではないし、色覚に異常を持つ人も間違える可能性がある。

しかし、「色覚障害のない日本人」は、色分けされたトイレを「男女の別が分かりやすいトイレ」として扱ってしまう。その結果、ピクトグラムや文字といった他の視覚情報や、音声アナウンスなどの視覚のみに頼らない情報をぞんざいに扱ってしまいかねないのである。

実際、Twitterで明石市に怒っていた人たちは、トイレの外壁が色分けされなくなったというだけで「男女の別が分かりにくいトイレになった」と判断し、その多くはどのようなピクトグラムや文字が掲示されるかということは、まったく考えていなかった。すなわち、現に他の情報をぞんざいに扱っているのである。

そもそも、それほどまでに「トイレの男女を間違えるリスク」を問題にするなら、それこそ日本国内で今後作るトイレのピクトグラムにおいては、青と赤という色分けはやめたほうがいいはずだ。

なぜならすでに記しているが、男女の色分けは世界的に見て標準的な区別方法ではないからだ。

われわれ日本人は、色を頼りに男女のトイレの区別を付けているが、海外ではそれが通用しない。青と赤の色分けに慣れていると、海外で「青い色の女子トイレ」に入ってしまわないとも限らない。

トイレの男女を間違えたときのリスクは、言葉が通じる日本よりも通じない海外の方が高い。海外で警察を呼ばれてしまえば、その国の言葉に堪能でなければ自己弁護すらままならない。

ならば、日本国内でも安易に色で男女トイレの別を判断しないことを習慣にするべきであろう。

単純に多数決のみで決められるべきことではない

結論だが、トイレにおける男女の色分けというのは、あくまでも判断材料のひとつに過ぎず、決して他の材料に比べて秀でているということではない。

色分けをしなくても区別の付きやすいトイレはできるし、色分けをしても区別しづらいトイレはできてしまう。

単純に青と赤の色分けがされていないというだけで、多くの人が男女を間違えて入ってしまうということにはならないのである。

もし多くの人が間違えるとすれば、それは色分けをしていないからだけではなく、他に十分な判断材料が存在していないという問題である。

公園のトイレというのは公共の施設であり誰もがお世話になる施設だからこそ、多くの人にとって分かりやすいデザインである必要がある。

そのためにはさまざまな立場の人からの意見を取り入れるべきであり、単純に多数決のみで決められるべきことではない。

僕は明石市の判断は、市民の意見を受け入れながら、少数者への配慮のある、より正しい判断であったと評価している。

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