訓戒もどきを演じることで自分を「上」にしたい

最近も、社会で一般的に上の立場の人が下の人を叱ることを、訓戒するとよく言います。逆に、下のものが何か意見を出すと、「お前に何の権利があって私を訓戒するのだ」と、喧嘩になりがちです。「訓」は、いろいろ知っている人が、知らない人に教えるもの、教えてあげるものだからです。

シンシアリー『日本語の行間』(扶桑社新書)

今まで本書で述べてきた、韓国社会の言語体系においての「上下関係」への異常な執着、そして「儒教思想」の影響などは、単にそれぞれの単語を変えただけでなく、文章の構造、簡単に言えば長さそのものをも、変えてしまったわけです。

私は、この「訓を演じる書き方・言い方」こそが、韓国人の話や文章を長く、そして迂回的なもの(教育的なニュアンスを演出するため、やたら昔話や古文からの引用が多く、最近はなんと映画からの引用も多い)にした大きな要因だと思っています。

そう、実際に立場が上だから訓戒するのではありません。訓戒もどきを演じることで、自分を「上」にしたいわけです。

しかし、そんな会話、または文章には、一つ、決定的に欠けてしまうものがあります。それは、相手を尊重する心、「ありがとう」たる気持ちです。相手を戒めることにこだわりすぎで、余裕をなくしてしまったのです。

日常で出会う人に感謝する心があるなら、会話でマウント合戦が起きたりするでしょうか。読者にある程度の感謝を込めているなら、訓戒っぽい論調の記事が書けましょうか。日韓関係を良くしたいという願いが本物ならば、書くべきはアドバイスであり、政府への訓戒ではないでしょう。

そもそも、韓国側の対日本観に決定的に欠けているのが、この感謝の気持ちです。民族がどうとかプライドがどうとかの話は別にしてでも、併合のおかげで、日本の先人たちのおかげで朝鮮が近代化できたという最小限の感謝さえあれば、日韓関係が今のようにはならなかったでしょう。

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