長く話すと謝る日本人

でも、日本に来てからは、相手が私の話を最後まで聞いてくれるし、しかも、大して長話もしてないのに「私ばかり話して申し訳ありません」「話が長過ぎました。引き止めてしまって申し訳ございません」と相手(日本人)から謝ってきます。

だから、私もつい「長く話すと失礼だ。短く話そう、短く」と、どうすれば短く話せるのか、言い換えれば「どうすれば話さずに済むのか」で悩んでしまいます。韓国にいたときのマウント合戦に比べると、真逆の現象です。

説明するスーツの男
写真=iStock.com/taa22
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旅先でのことですから先のアクションゲームっぽい話とは状況が違いますが、最近のことだと、日光市の私の気に入りの場所、「神橋」でも同じことがありました。

韓国を旅行したことがある日本人の方とお会いしました。ホテルにガスマスクが用意されていたそうですから、結構前のことでしょう。韓国でアワビの粥を召し上がった話など、私も楽しく聞いていましたが、お別れのときに、その方が急に謝るのですよ。「長話してしまいました」と。そんなこと全然ないですけど。美しい景色の中、ほのぼのした旅の思い出です。

なぜこんな「差」があるのか。なぜ片方は少しでも長く話そうとするし、もう片方は短くしようとするのか。しかも、これは、同じ人(私)の経験談です。なんでだろうと、いろいろ考えてみました。

相手への「尊重」があるかないか

真っ先に思いつくのは、漢字を使わなくなったことです。最初からハングルだけで出来ている言語体系なら問題なかったでしょうけど、「意味」を表現するための漢字を廃止し、「音」だけを残すから、意味を説明するために長く話すしかなかったのではないか、そんな考察でした。これについては、今でも「何かの影響を及ぼしただろう」とは思っていますが、だからといって、主な要因だと言い切る自信もありません。長くなるのはありますが、長い文章は無条件でダメだというわけでもないし、漢字圏の人が素晴らしい外国語文章を書くことだってありますから。

他にもいくつか「もしかして」と考察はしてみましたが、個人的に、どれもハズレでした。正解がどんなものかは知る由もありませんが、個人的にたどり着いた結論は、「相手を尊重しないから」です。

言い換えれば、相手への尊重があるか、ないかの差です。先のアクションゲーム(のような会話)は、まるで勝ち負けで喧嘩をしているようなイメージですから、ここでいう「尊重」は、勝ち負けにこだわらないという意味でもあります。