①因果応報の原則を知らない
お釈迦さまは「因果応報」の原則を説かれました。
因果応報とは、「すべての出来事は、原因によって生じた結果である」という意味です。
桃の種を土に植えれば、芽が出て、やがて桃の実がなる。
柿の種を土に植えれば、芽が出て、やがて柿の実がなる。
一見「あたりまえ」のことを言っているように思えますが、これが「自分のこと」となると、
因果応報として考えられなくなってしまうものです。
もし「いま、あなたの目の前に起こっている現実は、すべて過去のあなたが選択した結果である」と言われたらどうでしょうか。
それがあなたにとって好ましい結果であれ、好ましくない結果であれ、あなたが過去に蒔いた種が、いま、実を結んでいる。
例えば、お金がない。仕事がない。仕事がつまらない。異性にモテない。人間関係がうまくいかない。体調が優れない。
これらを、因果報応だとは認めがたい自分がいたりしないでしょうか。
不幸を人のせいにしては、果実は得られない
もちろん、ものごとがうまくいかない理由のすべてが、あなたにだけあるわけではない場合もあります。親や政府や他人が原因でうまくいかないことが確かにあります。
けれども、結果として、いま味わっている不幸の原因を、政府や、親や、周囲や環境のせいにしたりして、愚痴ったところで、状況は変わりません。
ましてや、口先だけで行動が伴わず、大した努力もせず、他に依存しながら、他を恨み、罵り続けている人。そのような人が、幸せの果実を手にすることはありません。
一方で、世の中には、どんな酷い状況にあっても、愚痴らず、腐らず、淡々と、今自分にできる最良の選択をし、今自分にできる最大の努力をしている人がいるものです。
そのような「因」を作り続けた人は、いつか必ず、その努力に見合った「果」を得ています。
蒔いた種は自分で刈り取る。これが因果応報の原則です。