意味も分からずバッジだけ付けている従業員

SDGsへの貢献を表明する企業が増えるにつれ、工場や営業などの担当者から本社のCSR・サステナビリティ部門に対する不満の声を聞く機会が増えてきた。事業戦略や長期目標等を企画・立案する本社サイドと、営業部門や工場、店舗などの現場サイドとの間でさまざまな軋轢が生じているのである。

SDGsを事業戦略に取り入れた企業のウェブサイトには、カラフルで綺麗な図や2030年、2050年などの未来に向けた長期目標が並んでいる。その裏側では、膨大な時間と労力をかけてSDGsそのものと、自社の新事業戦略・長期目標の社内教育が行われている。

ところが、工場や店舗の現場、営業部門の最前線まではブレークダウンされておらず、多くの担当者が理解できていないのが実情である。あまり中身を理解しないままに胸にバッジをつけている従業員や役員に出会うことも少なくない。筆者の自宅へ家電製品の修理に来てくれたある家電メーカーのサービスマンも、「よくわからないが本社からつけろと言われているので、このバッジをつけています」と話していた。

写真=iStock.com/butenkow
※写真はイメージです

これは本社サイドの周知不足でもなければ、現場サイドの理解力不足でもない。やはりSDGsはわかりづらいのだ。

雲をつかむような理想や一般論ばかりで具体性がないため、本社サイドが策定する理念や大方針には組み込むことができても、現場サイドの組織目標や担当者の業務へブレークダウンする際に皆悩んでしまうのである。SDGsは、一部の企業にとっては有益な面もあるが、すべての企業や部門に落とし込めるものではなく、なかんずくビジネスチャンスになんてなるわけがないのだ。

本社・工場・店舗などさまざまな部門から選抜された優秀なメンバーが何人も何日もかけて「どうやったら自部門に落とし込めるのだろう」などと悩んでいる時点で、付加価値もメリットもないことが露呈しているのだ。

何十年も前から日本企業の現場で繰り返されている小集団活動やQC(品質管理)活動、省エネ活動などは、自分たちにメリットがあるからこそ地道に継続されているのだ。もしもSDGsに付加価値やメリットがあれば、本社サイドが放っておいても現場サイドでどんどん自主的な活動が展開されるはずである。昨今、現場サイドの理解が進まず悩んでいる本社の事務局担当者向けセミナーが増えていることこそが、SDGsに何の付加価値もメリットもないことの証左と言えるだろう。

外向けにはメリットを発信をする本社サイドに対して、自分たちには何もメリットが見出せず訳のわからないものを押し付けられる現場サイドでは、不満がたまる一方だ。このままでは、こうした不満が顕在化し社内の分断が加速する可能性すらあるだろう。

これからSDGsを経営方針や事業戦略に取り入れようとお考えの企業には、ぜひ慎重に検討されることをお勧めしたい。本社サイドと現場サイドが分断してしまっては元も子もない。

過ちて改めざる、これを過ちと謂う

すでに経営方針等へ組み込んだものの現場サイドに浸透させることができず悩んでいる事務局担当者は、これまでコンサルタントに支払った費用や社内でSDGs浸透のために割いてきた人員や時間などのリソースが「サンクコスト」(埋没費用)であると認識しよう。どれだけ追加投資しても回収は見込めないと考えていい。

「過ちて改めざる、これを過ちと謂う」といわれる。SDGsを導入したのは仕方がない。人間誰しも間違うものである。今後もSDGsに取り組むために貴重なリソースを割いて、会社の生産性を下げ続けることこそが過ちなのだ。

そこで、事務局担当者はSDGsの導入から現在までの棚卸しを行い、導入当初に期待していた成果とこれまでの成果(あればだが)や、今後期待される効果(あればだが)などを整理したほうがよい。その際に、成果を無理にひねり出すのではまったく意味がない。虚心坦懐に棚卸しを行い、過去を整理することが何よりも重要だ。

ここで、とくに大企業になればなるほど、導入時に経営会議まで通したものなので見直すのが難しい、といった事態に陥るのは想像に難くない。企業経営に限らず、先の大戦での大本営や昨今のコロナ対応など政治の世界でも見られるように、日本社会には「決めるのが遅く、一度決めたことをやめる・変更することができない」という悪弊が蔓延している。

経営層やCSR・サステナビリティ部門にとっては自己否定につながる大変難しい判断だが、もしも実現することができれば、これこそがSDGsに取り組んでよかった最大の成果となるだろう。日本企業の悪弊を打破した前例となり、今後の柔軟な意思決定につながるはずだ。