最終的に「自分の主張が正しかった」と証明された経験

イベントの終盤で、私は次のような発言をした。

「私は現在、コロナ騒動においては完全に『邪教の信者、ないしは教祖』のような扱いですが、実は過去にも同様の扱いを受けており、最終的に自分の主張のほうが正しかったという成功体験をしています。

2000年代中盤、『Web2.0』という新しい概念が注目されました。インターネットは善良な人々をつなぎ、社会をよりよくし、人間をもっと賢くしてくれる……そんな論調です。小池百合子氏が述べるようなアウフヘーベン的ヘーゲルの弁証法で“知”がより高みに到達すると考えられていました。

そうしたユートピア論的Web2.0の流れをネット界隈の人々は礼賛し続けたわけですが、当時、すでにネットニュース編集に従事していた私には絵空事のように思えました。“ネット小作農”として日々のPV稼ぎに翻弄され、バカげた炎上への対応に明け暮れる。そうした毎日を過ごすうちに『Web2.0なんて、良心的かつ頭がいい一部の人たちのあいだだけで成立する概念じゃないのか?』『大多数のバカにとっては関係のない話では?』『頭のいい人々がウェブの優れた部分だけを切り取って意見を述べているだけだろ』と考えるようになり、『ウェブはバカと暇人のもの』という本を書きました。2009年4月のことです。

当初、この本はそれなりに売れていたものの、ネット界隈は一様に沈黙し、書評さえ出ない状況でした。ネットの身も蓋もない現実を詳らかにした私に対して、ネットの素晴らしさを喧伝し過ぎた各種メディアや識者たちは、明確な反論ができなかったのです。

ほどなく、さまざまな炎上騒動などを通じてネットの民度の低さが露呈し、2010年初頭あたり……発売から9カ月ほど経過してようやく、私の論が正しいことが証明された。ウェブを聖域化する論調が崩壊し、以後、私は爆発的に仕事を獲得するに至りました。

その後も『バカッター騒動』などが起こり、私の主張はさらに確固たるものになった。コロナについても同様の自信を持っています。政治家や専門家、御用メディアよりも、私のほうが正しい」

もっと自分の「野生の勘」を信じよ

こう述べる私のことを「暴論を吐く反社会的存在」と断じるのも結構。だが、私自身はあなた方からどんなに批判されても何も感じないし、自我を通さない気持ち悪さのほうが不快なので、持論を変える気は一切ない。それどころか、すべての人が私のように振る舞えるようになればいい、とすら考えている。そのほうが、この社会はもっと幸せなものになるだろう。

本当は忖度マスクなんて着けたくのに着け続ける──これは、ただ単に「社会の目」を気にして自分の感情を封印しているだけの行為にすぎない。とりわけ都会では、そもそもマスク着用が必要ない状況であっても忖度で着用せざるを得ないような空気が強いように思う。なんてバカバカしく、無意味な忖度だろうか。

あなたはそんな社会が続くことを求めるのか。もっと自分の「野生の勘」を信じるべきではないか。それでも周囲の発言のほうが正しいと思うのであれば、一生誰かにコントロールされる人生を送ればいい。

【まとめ】今回の「俺がもっとも言いたいこと」

・コロナの蔓延以降、権威の言うことに盲従する人間ばかりになっている。データや事実関係を冷静に読み解く目を持ったうえで、もっと「自分なりの判断基準」「野生の勘(直感)」を頼りに行動してもよいのではないか。
・他者に判断を委ねてばかりでは、望まない結果が生じたとき、他者を責めることになる。他人は結局、どこまでいっても他人。あなたの幸福のことを第一に考え、責任を持ってくれるわけではない。何事も最終的な判断は自分で下すべきだ。
・忖度マスクほど無意味なものはない。周囲の目を恐れ、自分の感情にフタをし続けているかぎり、コロナ騒動は収束しない。誰かにコントロールされるだけの人生なんて、あまりに不幸ではないか。

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