予算がなくても「富岳」は世界一を獲得できた

日本でイノベーションが起きないのは軍事利用が阻まれているからだ、という指摘もある。たしかに米国や中国、ロシアなど、新たな技術の開発は軍事面からの要請が多いのは間違いない。インターネットの原型となる技術や全地球測位システム(GPS)、ドローンやAI、「シリ」のような自動音声認識技術などはその典型だ。DARPA(米国防高等研究計画局)がその開発の担い手となっている。

しかし、敗戦後、軍事技術の開発に歯止めをかけられていた日本でも「民生利用」の分野で世界を驚かす快挙は成し遂げられている。スーパーコンピューターの「富岳」だ。

スーパーコンピュータ「富岳」(写真=富士通プレスリリースより)

「富岳」は2020年の性能コンテストで、単純計算の性能を競う「TOP500」、社会の複雑なネットワークや各種のビッグデータ解析を競う「Graph500」、自動車や航空機などの空力設計などに用いる産業利用用途に関する「HPCG」、AIの深層学習などに使う「HPL-AI」の4部門でトップになった。ランキングは半年ごとに更新されるが、6月にもいずれの項目でもトップとなり、3期連続で4冠を獲得した。

「富岳」は4月から本格運用が始まった。処理速度を競うTOP500以外の各部門でも首位に立ったことについて産業界からは、「民間企業からの要請に沿った使いやすいスパコンが誕生したことを意味する」(大手自動車メーカー幹部)と、歓迎の言葉が寄せられている。

スパコン「地球シミュレーター」の苦い経験

先代のスパコン「けい」も処理速度では世界一を記録したが、「空力設計のシミュレーションや創薬など産業用途では使いづらい」と指摘されていた。開発を担った理化学研究所はこうした産業界からの指摘をうけて、「『処理速度で世界一を目指す』というような開発者の一人よがりではなく、産業力の底上げに通じるような使い勝手のよいスパコン開発を目指した」と振り返る。

京を上回る1300億円もの開発費を投じて誕生した富岳に産業界が寄せる期待は大きい。ポスト・スパコンと呼ばれる「量子コンピューター」についてもトヨタ自動車や日立製作所、三菱UFJフィナンシャルグループなどの企業も参加して、学術用途以外に民間にもその成果を広く還元していこうという機運が高まっている。

こうしたスパコン富岳やそれに続く量子コンピューターの官民開発・共同利用が強く叫ばれるようになったのは、2002年に運用を開始したスパコン「地球シミュレーター」の苦い経験が影響している。

当時は処理速度で世界一となり、米国では「スプートニクス以来の衝撃」と報じられた。この地球シミュレーターの登場により、核融合のシミュレーションも容易になることから、米国防省は地球シミュレーターを抜くための開発費を急遽計上し、IBMなどを駆り出して開発に着手させたほどだ。