社会の仕組みからこぼれ落ちてしまう人の力になりたい

「それぞれ支援が必要な方とまっすぐ向き合えることは非常にありがたいことでした。私はどうやって目の前の人に関わっていくべきかと日々考えていました。

大学病院で働いていた34歳のころ。(写真提供=ラッセルコーチングカレッジ)

一日3000人来られる中で9割ほどは健康保険が適用されても、残り1割は労働災害や措置医療、外国籍や生活保護など複雑な事情があり、社会制度によるサポートが必要です。重篤な病気でも、難病治療支援制度によって認定されれば治療に向かえるけれど、それが難しければ膨大な医療費がかかる。そうした社会の仕組みからこぼれてしまう人もたくさんいます。では自分に何ができるだろうか。ただ寄り添うだけではなく、本当に役に立てる『力』があればと思うようになったのです」

非常勤の任期は合わせて約5年だった。病院内での信頼も厚かった中原さんは他部署への誘いも受けたが、そこでふと立ち止まる。これからどう生きようかと考えたとき、もっと人の幸せに結びつくようなことをしたいと考えたのだ。

離婚後7年間働いて貯めた700万円でロースクールへ

そんなときにニュースで知ったのが、2004年4月に創設された「ロースクール制度」だ。ロースクール(法科大学院)とは法曹(弁護士、検察官、裁判官)養成に特化した教育を行う専門職大学院。法律を学んでいない人でも3年間の未修過程が設けられ、修了すると司法試験の受験資格を得られる。試験に合格すれば、弁護士への道が開かれるのだ。

「“あっ、これだ!”と。人の幸せのために役に立てるのではないかと思いました。離婚してから働き続けた7年間、夜は英語の採点などいろんな内職をし、畑で野菜もつくるという節約好きで(笑)、700万円貯まっていたんです。一回で合格すれば、ちょうど3年間の学費と生活費は賄える金額だったので、これで行けそうじゃないかと思ったのです」

法律といえば憲法9条くらいしか知らなかったが、思いきって仕事を辞めると、猛烈に勉強に励んだ。関西学院大学のロースクールへ進学すると、毎日の睡眠は3時間ほど。小5の娘の世話は手を抜かず、あとは食事や入浴中もひたすら集中した。

「本当にぼろぼろでした。髪の毛を切ろうとしても、その辺に民法178条が入っていてそのまま忘れちゃうんじゃないかと思うと、切れなくなってしまい(笑)」

難関の司法試験では、論文43位と見事に上位合格を果たす。中原さんは40歳にして、弁護士の道を歩み始めた。

後編に続く)

(文=歌代幸子)
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