みんな「自分の対策」は十分だと思っている

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なぜか? それはその「あの連中」だって、実は主観的には、自分なりにやるべきことをやっているつもりだからだ。出歩いている人は、自分はマスクしてるから大丈夫、と思っている。若者も多くは、自分はしっかりマスクと手洗いしてると思ってる。多くのレストランや施設は、自分たちは感染対策はしっかりやっていると思っている。食事をする人だって、ついたて越しだしいつもより声は控えめにしているつもりだ。酒を飲んで騒ぐ人だって、回数控えめにしているつもりだ。外飲みの人は、屋外でやれば、換気は十分じゃないかと思っている。

みんな、自分なりに対策をしているつもりだ。自分なりに犠牲を払っているのだ。そして、それは決して単なる思いこみではない。何もしない以前の状況に比べれば、対策はしている。そしてみんな、自分の対策は十分だと思っている。その根拠は……自分がそれでこれまでコロナにかからなかったから。もちろん、これは理屈としてはまちがっているけれど、でも人間というのはおおむね、そういう考え方をする動物なのだ。

「意識の高い人」の批判が届かないわけ

意識の高い人から見れば、あそこがダメ、ここがダメ、それは心得違い、と批判はできるだろう。そしてそれはその通り。でもその批判対象の人びとだって、同じことを思っている。悪いのは他人だと思っている。だから、だれも自分の行動なんかなおさない。よって、全体として対策が特に強化されることはない。だからこれ以上、状況が大きく改善することはないだろう。専門家や政治家がどんな脅しをかけようとも。

そして、それはその人たちの主観が、客観的にまちがっているという話ではない。客観的に見ても、それ以上対応を強化しないという行動は、その個人にとっては合理的なのだ。それ以上の予防策なんか、個人レベルではほとんど何の意味もない。個人が追加で感染予防策を講じたところで、その個人にとっての追加の感染リスク低下はほぼゼロだ。

たぶん一般人レベルで普通にできることは、マスク、手洗い、ワクチン接種、公共機関の体温測定、少し外出を減らすくらいだろうか。それ以上のことを一般人に求めること自体が、かなり無理筋だ。しかも「それ以上のこと」って具体的に何? ぼくには思いつかない。