例えばローンを組んで、マンションを買ったり、高級車に乗っていたりします。高級な腕時計を身に着けている人もいます。頻繁に外食し、趣味や娯楽にそれなりのお金を費やしています。そして自宅には、ダイエット器具や使わなくなったデジタル機器といった不要な物があふれかえっているのです。

「そんなことをやめて質素に暮らそう」といっているのではありません。生活には、ある程度のうるおいは必要です。でも、マーケティングに踊らされて、消費すべきだと企業が考える物やサービスを買わされている可能性があるのです。

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「他人目線」でお金を使う人の心理

ここでお伝えしたいのは、本来お金は、「自分と大切な人の幸せのために使えばいい」ということです。自分たちが「幸せ」になるためにお金を使えばいいのです。

一方で、お金で不自由を感じている人ほど、「他人目線」でお金を使います。高級な腕時計を買うのは、他人からすごいと思われたい心理が隠れています。

もちろん、時計を心から愛する人はそれでいいのですが、たいていの人は、よく見られたいという気持ちでブランド品にお金を使います。

自分が心から満足していなければ、他人からの評価を衝動的にお金で補おうとしてしまうのです。文字通り、身の丈に合わない服を買い、体に相当な負担をかけてやせようとします。

そんな一時の気晴らしのようなお金の使い方をしていると、いずれ心が疲れますから、ストレス解消のためのお金も必要になっていくのです。

お金には力がありますが、お金だけで誰かの心を掴むことはできません。それを混同すると、「人の心が掴めない=お金が足りない」と考えてしまいます。心がこもった手づくりの品をもらうほうが、高級な物をもらうよりもうれしい──。そんなことはたくさんあるはずです。

大切なのは、自分と自分の大切な人にとって、「なにが本当に必要なのか」を理解することです。それが、高い物でなくても、本人が心から楽しんでいれば、それはとっても幸せなことでしょう。

“自傷行為”としての散財

他人の目を気にしながらお金を使っている限り、お金は貯まりません。

世の中にはお金を持っている人はいくらでもいますから、仲間内のごく狭い世界で「自分は稼いでいる」「あの人よりもお金持ちだ」などとつまらないことを思っていても、心から満足することなどできないし、お金は出ていく一方でしょう。

他人の目を気にしてお金を使えば使うほど、ますます他人のことが気になって、張り合うようになります。内心では、「自分がいい気持ちになるため」にお金を使っている気がしていても、客観的に見ればただお金に使われている状態といえるでしょう。