「社会分断論」のすぐ先にある危機
【安田】あるいは、これは繰り返しになりますが、在特会元会長でレイシストの親玉でもある桜井誠が都知事選で一八万票を獲りましたよね。少なくないメディア関係者は笑い飛ばすわけです、しょせんは泡沫だと。
しかし泡沫といっても一八万票近くですから、それなりに大きい。これは前にもお話に出ましたが、有権者の数でいえば、東京都民の有権者の六〇人に一人が桜井に投票している。たいしたことないと言えばたいしたことない。
でも僕がハッとしたのは、在日コリアンの友人から「六〇人に一人ってどのくらいの数だと思う?」と訊かれて、「山手線の一つの車両の座席が六〇なんだよ」と。立っている人がだれもいない状態でも、車両の座席が全部埋まっていれば、そのなかに、「在日は死ね、殺せ」と叫ぶ者にシンパシーを感じている人物が一人いるんだという確率。「これは恐怖だぜ」と言うんです。そのとおりだなと思う。
「自分は在日と名札をつけて歩いているわけではないけれども、しかしそういう奴と同じ空間にいる。それをどんなところでも意識しなくちゃいけない世の中、時代は恐いよな」と彼は話していて、僕はその言葉を痛切に受け止めました。
「反日」か否かというのは単に記号としてもてあそばれているかのように見えるかもしれないけれど、じつはまったく記号ではなくて、命の選別にもつながる恐怖を被害当事者に与え続けているんだという、いまの時代の現実を見すえる必要があると思います。
傍観者を決め込んではならない
【青木】たしかにおっしゃるとおりですね。僕などは根っから鈍感なせいか、ネットなどでいくら罵声を浴びせられてもさほど気にしないし、そもそも見ることもほとんどないんですが、いざとなれば口をつぐんで逃げ出してしまうことだってできる。
しかし、一貫して日本社会にくすぶる差別や偏見に直接さらされてきた人びとは別です。日々の生活のなかで常にその恐怖や圧迫と向き合わねばならず、口をつぐんで逃げ出してしまうことだってできない。
だからとくにメディアに関わる者たち――安田さんや僕もそうですが、取材者とか物書きとかジャーナリストなどと称される者たちは、沖縄はもちろん、在日コリアンの人びとに薄汚い罵声や憎悪を浴びせる連中を前に「どっちもどっち」論や「分断」論で傍観者を決め込んではならないんです。
それは決して被差別者やマイノリティの人びとのためだけではなく、最終的には僕らのためでもあります。まず、差別問題で僕らは明らかに当事者であるということ。そしてこの対談のなかで安田さんがニーメラーの警句を引いていましたが、マイノリティに対するそうした仕打ちを傍観し、徐々に燃え広がっていくことを許せば、いずれその腐った火の手が延焼して社会全体を蝕みかねないわけですから。