「不健康な人は自業自得」と言われる世界

全世界の人が「医療リソース」「社会の安定化」について否応なしに考えなければならなくなるコロナ後の人間社会では、「健康」であることは、個人の意思によってそれを心がけるかどうかを決めてよい問題ではなく、社会に参加する者にとって必ず守らなければならない絶対的な規範として位置づけられる。

「健康」であることは、たんに「健康である」ことを意味するだけでなく、それこそが人間としてあるべき姿としてとらえられ、社会的・道徳的な正義であるとも考えられるようになる。逆にいえば「不健康」であることは、あくまで「個人が(自由を行使した結果として)個人的な不利益をこうむる」という意味とはみなされなくなるということだ。

健康でない人は社会全体に不利益をもたらす「悪」として厳しい視線を向けられていくことになるし、また「健康を度外視した自由を行使した結果、社会に不利益をもたらす」行為には、「不届き者の自業自得なのだから、ただしく生きている人がそのツケを肩代わりするべきではない」という自己責任論の論調も盛り上がっていく。

2010年代、人工透析が必要になった人を例にとりながら「自業自得の人工透析患者は、全額実費負担にさせろ」と主張して大炎上してしまったフリーアナウンサーがいたが、コロナ後の世界では、彼と同内容のことを言うようになる人は少なくないだろう。「あの時、なんで世間の人はあんなにあの人に怒っていたんだろうね? 不健康な人が不利益を被ったとしてもそれは自業自得なのに」と、世間が無邪気に言うようになっても、私はまったく驚かない。

写真=iStock.com/Vladimir Sukhachev
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「健康で健全な社会」を目指すことを拒否できなくなる

また、現在は内閣で環境大臣を勤めている小泉進次郎議員が、数年前に「健康ゴールド免許」という案を打ち出した。これは「健康である人がより安い保険料になるように」という主旨のシステムであったが「健康や医療を自己責任論にするつもりか!」と激しい批判を呼び、そのまま立ち消えになった。だが、コロナ後の世界でもし小泉議員が同じことを言えば、おそらくはまったく違った反応が世間から返ってくることになるだろう。今度は賛同や歓迎の声が多くなったとしても、やはり私はまったく驚かない。

たとえ不健康で不健全であろうが、個々人がそれぞれ幸福を感じる行動や嗜好を選択することは基本的人権(幸福追求権、とりわけ『愚行権』と呼ばれるもの)として擁護されていたが、しかしやがては「グローバルなただしさ」の大義名分によって吹き飛ばされる。

私たちは、健康で健全な社会を目指すことを拒否できなくなる。ワクチンの普及によってコロナが収束し、街の風景が元どおりになったとしても、私たちの「健康」は、かつての姿のまま還ってくることは二度とない。

さあ、これを読み終わったら、今日から1時間ほどのジョギングをはじめよう。あなたが健康になることは、あなたにとってだけでなく、みんなにとって喜ばしいことなのだから。

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