社交的で饒舌なミケルソンにも、取材拒否の時期があった

今年5月の全米プロを50歳11カ月で制し、メジャー大会史上最年長優勝とメジャー通算6勝目を挙げたばかりのフィル・ミケルソンにも、会見がストレスとなった時期があった。

1992年の米ツアーデビューから2004年のマスターズを制するまでの実に12年間、彼はメジャーにどうしても勝てず、「メジャー・タイトル無きグッドプレーヤー」という屈辱的な称号を授けられていた。このとき、ミケルソンはメジャー大会の開幕前に必ず会見に呼ばれ、毎回、同じ質問を投げかけられた。

「どうしたらメジャーに勝てる?」
「いつになったらメジャーに勝てる?」
「今回こそは勝てると思うか?」

もともと社交的で饒舌で、人前で語ることが嫌いではないミケルソンは、同じことばかりを繰り返し尋ねられる会見にも笑顔で対応していた。ときにはユーモアやジョークをまじえて記者たちを笑わせ、ときには「今回は僕はドロー用とフェード用、ドライバーを2本入れて戦う」などと独自の工夫やユニークな戦法を惜しげもなく披露することで、一定方向を眺めていたメディアの視線を別方向へ導いたりもしていた。

しかし、それほど前向きに会見に対応していたミケルソンでさえ、メジャーに勝てない日々が10年目を迎えたころには、さすがに嫌気を起こし、取材拒否を宣言することがあった。

彼が実際に拒否したのは個別取材のみで、結局、会見だけはどうにか出ていたのだが、サービス精神旺盛でメディアにもファンにも「神対応」として知られていたミケルソンの取材拒否は、メジャー開幕前の会見が選手にとってどれだけ重荷になるかを示している。

2000年代前半からは「囲み取材」が増えていった

タイガー・ウッズが黄金時代を迎えた2000年代前半からは、米ツアーで開幕前の会見の「例外」が徐々に増えた。

どの大会においても常に注目選手だったウッズが、毎試合、開幕前の会見に対応するのは負担が大きすぎるということで、ウッズが望めば、「今日のウッズの会見は、会見場ではなく、練習ラウンド終了後に18番グリーン脇で行います」とアナウンスされるようになった。

写真=AFP/時事通信フォト
男子ゴルフのメジャー大会、2019年4月のマスターズ・トーナメントで優勝し、ガッツポーズをするタイガー・ウッズ=2019年4月14日、アメリカ・オーガスタ

そして、屋外に設けられたフラッシュエリアと呼ばれる一角で、ウッズがお立ち台の上に立ち、数人の記者からの質問に答える短時間の「フラッシュ・インタビュー」のみで終了。日本的に言えば「囲み取材」のようなものだが、これは、ツアーが選手の立場や気持ちを考慮して打ち出した柔軟な対応で、この簡易方式がミケルソンや他選手にも当てはめられることがどんどん増えていった。