周りには他の人たちもいて、もちろんみんな裸。なんで? いま? ここで? そのトピック? と思ったし、その瞬間、高校時代に「西村、あいつオカマでしょ?」と言われたときの心がギューッと縮まるような感覚がよみがえりました。

「どうしよう」と考えを巡らせたけれど、ここでごまかしたら、黒板の前で固まってしまった高校生のときと私は何も変わらないって思った。大きく息を吸ってから、呼吸を止めて、えいやって勇気を出して「そうだよ」と答えたら、小柄なジャイアンはびっくり仰天。

一歩を踏み出したらラクになった

予想外の答えにとまどったのか、その場で男同士の営みはどうするんだとかグイグイといろいろ聞いてきて、そんな質問には答えたくないなと困っていたら、「西村くんは、ニューヨークでメイクアップアーティストをしていて、ミス・ユニバースとかで活躍しているんだよ」と友人が助け舟を出してくれて。

それを聞いた小柄なジャイアンはさらにびっくりしたのか、黙り込みました。作務衣に着替えて寝室に向かう途中、廊下を歩く私を追い抜きざまに「ニューヨークでも頑張れよ」ってその彼が声をかけてきて。敵かも? と思っていた相手が応援してくれるとは思っていなかったから、今度は私のほうがびっくり。

私が自分のことに確信を持ち、勇気を出して正直に答えたことで、彼の気持ちも変化したのかなと思ったら、とても嬉しくて。言うときには、えいやって腹をくくる必要があるけど、一歩を踏み出したらラクになった。

写真提供=西村宏堂
僧侶になるための修行の様子

男、女と誰かに定義されるものではない

私は、けっして優れた人間ではありません。学校の成績も英語と美術をのぞけばダメ。マラソンも途中でお腹が痛くなってビリ。お坊さんの修行をするための入行試験には一度落ちています。こんな私でも、自分を好きになることができたと多くの人に知ってほしい。

『阿弥陀経』という経典に「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」という一節があります。青い蓮の花は青く光り、黄色の蓮の花は黄色く光り、赤い蓮の花は赤く光り、白い蓮の花は白く光る。それぞれの花がそれぞれの色で輝いていることが素晴らしいという意味。

私は私のことを「男でも女でもない」と思っているし、「男でも女でもある」とも思っているんです。私の体は私のものだし、私の心も私のもの。本来、誰かに「男だ、女だ」と定義されるべきものではないと私は思ってるの。