「あいつオカマでしょ?」の声に凍りついた
思い出してみると、私の中に変化が起こり出したのは、小学校に入ってから。男女の違いがハッキリ分かれるようになって、「女の子っぽい」とバカにされることもあったから、いつの間にか本当の自分を封印してしまったんですよね。
さらに、高校入学をきっかけに、私の心は完全封鎖。男子は男子、女子は女子と完全に分かれてて。どちらでもない私は、行き場を失ってしまい、友だちと呼べる人はひとりもいない教室で、休み時間は完全孤立状態。
自分が同性愛者だと気づかれるのが怖くて、誰とも話さない毎日。同級生にみじめな子と思われたくなくて、お昼の時間になるとふらりと教室を立ち去って、やらないといけないことがあるふりをして、校内をひたすら歩き続けました。
でも、ある日の掃除の時間、黒板のほうを向いている私の背後から「西村、あいつオカマでしょ?」という同級生の声が聞こえてきて。その瞬間、凍りついてしまった。彼とはちっとも仲良くなんかないのに、やっぱりわかっちゃうのかな……。聞こえないふりをして必死に強がっていたけれど、私の心は布団圧縮袋の空気が抜かれるようにギューッと締めつけられて、小さく小さく、しぼんでいきました。
明日からどんな顔をして学校に行けばいいの? あざ笑われたようでプライドはズタズタ。オカマと言われればオカマなのかもしれないけど……、「そうだよ。男の人が好きなんだよ」と言える強さを、当時の私は持っていませんでした。
「アメリカなら」と逃げるように留学したが…
高校卒業後、映画の中のアメリカは自由なイメージで、アメリカなら私を受け入れてくれるんじゃないか。友だちができるんじゃないか、疎外されないんじゃないか、そんな思いがどんどん膨らんで、半ば逃げるように日本を飛び出し、アメリカへの留学を決めました。
でも現実は全然違った。自分の居場所がきっと見つかるって希望を抱いていたけれど、実際はアメリカ人の友だちはできず、人種差別的な言葉の暴力を受けたりして……。ここでも自分は受け入れられない存在なんだって、落ち込みました。
こんなはずじゃなかったという思いが「この状況は、私が日本人だから」という言い訳を生み出し、「日本人というルックスと文化のせいで受け入れられない」と言い聞かせることで自分をなぐさめているような状態。