夫と女房は「家」の共同経営者

結婚した後の夫婦は、「家」の「当主」と「女房」としてそれぞれの職分を受け持つことになりました。「当主」は「家」の代表としての職分を担い、家業全体に責任を持ちました。

中村敏子『女性差別はどう作られてきたか』(集英社)

特に重要なのは、企業体としての「家」の財産、つまり「家産」を守り次世代につないでいくことでした。「家産」は当主個人の所有なのではなく、文字通り「家」の財産だったので、当主の役割は「家産」を管理する管財人の役割だったといわれています。重要なのは、このように「家」を代表するとされた「当主」は、「家」全体を支配する権力を法により保証されていたわけではないという点です。つまり「当主」が「家」のメンバーに命令し強制する力を与えられてはいなかったということです。

これに対する「女房」は、家政を担当し家業がうまく運営されるように管理しました。彼女はいわば「家」におけるマネージャーのような役割を果たしており、家族や使用人の世話だけでなく、さまざまな交際などにも気を配りました。「当主」と「女房」はいわば共同経営者のような立場で分業しながら、「家」を継続させるために働いたのです。つまりふたりはそれぞれが独立した役割を果たしながら協同する関係だったのです。

病気の妻におかゆを運ぶ夫

そして、そもそもこの時代は、「家」において現代のように夫婦だけをペアとして考えることはなく、妻も夫の親類のうちのひとりとして分類されていました。婚姻手続きは養子縁組の手続きと同じでしたが、それはつまり両者とも「家」のメンバーとして新しく迎え入れるという意味で同じだと考えられたということでしょう。

当時の武士や女性の書いた日記などを見ても、夫に来客があれば夫と共に談笑する妻の姿や、病気の妻におかゆを作って運ぶ夫、妻の具合が悪い時には夫が子どもを勤め先の役所に連れて行き面倒を見るなどの姿が見られ、夫婦が助け合いながら協同して「家」を運営している様子が見てとれます。