そんなことにならないためにも「こまめにがっかりさせる」ことをすすめたい。「このキャラを期待されてるな」と感じたら、あえて期待を裏切る言動をしてみる。そうやって、上がりすぎてしまった周囲の「期待値」を下げてしまえば、不必要なフラストレーションを抱え込まなくて済むようになる。

それに、期待ばかりが高くなり、実力とかけ離れてしまうと、キャラ崩壊を恐れるあまり、挑戦することが怖くなってしまう。こまめにがっかりさせることで、実力と見あうよう「期待値」をコントロールしよう。

ときには空気を読まない

ミーティングのとき、あえて、素朴なことをポツンとつぶやいてみる。「そもそもこれ、何の意味があるんだっけ?」「これってなんではじめたんだっけ?」。そうすると、場の空気が一変して、より深い話に発展していくことがある。

あるいは、頼まれごとが重なって息苦しくなりそうなとき、思い切って「これはやりません」と拒否してみる。すると、これまた空気が一変して「じゃあ別の人に頼んでみるよ」と、あっさり状況が変わることがある。つまり「ときには空気を読まない」ことも必要なのだ。

場の空気を読みすぎてしまうと、周囲からも同じような反応しか返ってこなくなる。すると、パターン化したつまらない空間になったり、いつの間にか苦しい状況に追い込まれたりしてしまう。だからあえて、いつもと違う自分をポンと出してみる。相手の心に揺さぶりをかけるのだ。「自分のキャラを変えられる主導権は、常に自分がもっている」。そう意識してみよう。

撮影=関健作

自分の人生なのに、「私はこうするしかないんです」と、まるでまわりに流されるように、生きている人がいる。でも、それは誤解だと思う。ちょっと自分の行動を変えてみるだけで、まわりの反応は変わり、流れも変わっていく。「空気を読まない」ことは、とても勇気のいることだ。でも、その効果は思っている以上に大きい。

「白状」は人の心に響く

感情をあらわにするような言葉や、主観的な言葉。いわゆる「白状」を、普段は冷静な人から急にぶつけられると、胸に深く響いてしまう。そんな経験、誰にでもあるのではないだろうか。

ちょっと幼稚に思えるかもしれないけれど、「感情を外に出さずにはいられないほど、僕の気持ちは高ぶっているんだ!」という態度が、心の琴線にふれるのだろう。

『いまを生きる』という映画に、こんなシーンがある。詩をうまくつくれない少年が、先生に追い込まれて、思わず心のままに言葉を叫ぶ。その言葉が、教室中の感動を呼び、喝采を浴びるのだ。ああ、響く言葉というのは、ありのままの「白状」なのか。僕はこのシーンを見て、そう確信した。