コロナで再び起きた「安心」のための政策

BSEのときの全頭検査に対応するのが、今回の「飲食店の一律の規制」にあたるのではないかと思うのです。

写真=iStock.com/Ryosei Watanabe
※写真はイメージです

わたしは、アメリカ大使館のあと、日本フードサービス協会というところにいたので、外食の業界の方とはいまもすごく近しい関係にあります。今回、コロナの波が来るたびに、飲食店に一律で自粛を政府は求めました。「夜の街」での感染拡大が原因ということですが、時間と感染とはまったく関係がないはずです。

それよりも同じ人数の人が来るのであれば、長時間営業にしてばらけて来店したほうが密集を防ぐことができ、感染のリスクは減るはずです。そもそも「夜の街」などという定義もない曖昧な表現を行政のトップが使うべきではありません。

BSE検査とは逆に、PCR検査をすれば感染者はわかるのですから、疫学的に必要な数の検査をし、有病率を示し、それに基づいた科学的な施策を講じるべきです。そうすれば日々の感染者数の動向に一喜一憂せず、クリアしなくてはならない指標がわかるはずです。

特定の業種・業態だけが一括りにターゲットなることもありません。にもかかわらず、店舗の規模やその業態にもかかわらず一律で時短営業にするなどというのは、まったく科学的な根拠がなく、単なる安心のためだけの施策だと思うのです。

たしかにお酒が入って、タガが緩むとクラスターの温床になるというのは、現象としてはわかりますが、それは行動の問題であって、朝であっても昼であっても同じように起きる可能性はあります。実際、昼のカラオケでクラスターが発生したという話も何回かありました。

ただわかりやすいから、みんな判断がしやすいからという理由だけで、一律20時閉店というのは、手抜きの政策そのものです。

日本では曖昧にされる「リスク」

もちろんBSEと今回のコロナとでは別の話ではあります。

コロナはヒトの命にかかわる感染症であり、実際に日本だけでも何千もの人が命を落としています。

一方のBSEは、同じように命にかかわる病気とはいえ、実際にBSEが直接の原因で命を落とした人は日本でいません。

同列で語ることはできませんが、マスメディアの表現、政府の対応としては同じではないかと思うのです。

リスクというのは、日本語にとても訳しづらい言葉なのですが、「危険可能性」とか「危険の度合い」といったことを意味します。「危険」と同義語ではありません。