行き過ぎた競争社会は、たくさんの弱者を生み出す

【古川】新自由主義では、自由な市場競争を何より重視します。政府は公的な関与をなるべくなくし、企業同士も活発に競争させる。そうすることで経済が活性化するという理念の下に、イギリスではサッチャー首相が、アメリカではレーガン大統領が、日本では中曽根首相や小泉首相が〈小さな政府〉を目指しました。

その流れで日本専売公社はJTに、日本国有鉄道はJRに、日本電信電話公社はNTTになりました。今、私たちに日常的なサービスを提供しているこれらの企業は、この時代に生まれたんですよね。私たちの記憶に新しい郵政民営化も、まさにその一環です。

過度に政府が口出しをしないことで、市場に競争原理を持ち込む。その方針はあながち間違いではないと思います。

しかし、行き過ぎた〈競争〉は、その荒波に乗れない弱者もたくさん生み出しました。〈小さな政府〉の下では、社会福祉も削減されがちです。競争に敗れ、しかも国の公的支援を受けられない人も増え、社会の脆弱性も浮き彫りになりました。

ちょうどこの頃からですよね。日本特有の〈自己責任〉論が出てきたのも。非正規雇用から抜け出せないのも自己責任、失業も自己責任、ホームレスになるのも自己責任だ、と。数年前には生活保護の不正申請バッシングも起こりました。行き過ぎた競争社会では、「自分はこれだけ頑張っているのだから、他人も同様に努力してもらわなくては割に合わない」という同調圧力が強まります。

グローバリゼーションなんて、一時の幻影に過ぎない

【水野】そんな新自由主義と歩みを共にしてきたのが〈グローバリゼーション〉です。20世紀以降の目覚ましいテクノロジーの発達により、人々は遠い場所まで、人や物を大量にすばやく移動させることが可能になりました。大型旅客機や輸送機、大型タンカーなどの登場で、世界中で自由な商売、競争を行うことが可能になったわけです。

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しかしグローバリゼーションなんて、一時の幻影に過ぎないと思うのです。だって考えてもみてください。人類はこれまでの歴史で一度も、世界帝国世界政府などというものを実現できませんでしたよね。かつて無敵艦隊を誇ったスペインや、最強の騎馬軍団を持ったモンゴル帝国、そしてローマ帝国もイギリス帝国も、結局は地球の限られた領土しか支配下に治められませんでした。

にもかかわらず、新自由主義が謳われ始めたくらいから、「地球は一つ」、「全球化」などというスローガンがまことしやかに言われるようになった。そんなのは、とんでもない“幻想”です。

【古川】そうしたグローバリゼーションを背景に、〈自由貿易論〉も唱えられてきました。国家が過剰な介入や干渉をせず、企業間が自由に貿易を推し進めていけば、輸出国も輸入国も豊かになるはずだという発想です。自由貿易の下では利益や資源が最適分配されていくはずだから、と。