ここからが作家にとっては針のむしろでした。加藤さんと志村さんは台本を読むなり、「うーん」と唸り始めます。実は台本はあくまで叩き台であり、自分たちの納得いくものを作り込んでいくのがドリフターズ時代からの流儀。沈黙が続く中、ぽつりぽつりと「ここはこうしよう」とアイデアが出てきて、台本が完成していきます。
空気は重かったですね。沈黙が1~2時間続くことが珍しくなく、志村さんも机に突っ伏したり、一点を見つめてひたすら何かを考えていることが多かった。会議が終わるのは、早くても夜の10時過ぎ。台本は最終的に設定が残ればいいほうで、作家としてはしんどい時間でした。
どんなに酔っていても一人時間にやっていたこと
志村さんは海外の笑いを積極的に取り入れていました。『加トケン』でよく参考にしていたのは、レスリー・ニールセンの『フライング・コップ』です。たとえば最後にタイトルロールが流れるシーンで、ストップモーションのように見せかけているものの、実は演者が「だるまさんが転んだ」のように止まっているだけで、周囲の動物は勝手に動き回るというギャグがあったのですが、それをアレンジして演じたこともあります。
また、志村さんは、日本では未放映だったベニー・ヒルというイギリスのコメディアンのコント番組の話もよくされていて、ビデオを入手しては徹底的に研究して、ご自分のコント作りの参考にされていました。
笑いに関して志村さんは人一倍研究熱心で、当時、六本木にあったWAVEという輸入レコード屋さんに日本未発売の海外のコント番組やコメディ映画のビデオを毎回何十本と注文して、毎晩チェックしていました。志村さんはお酒が好きなことで有名ですが、どんなに酔って帰宅しても必ずビデオのスイッチを入れていたとか。テレビではひょうきんな姿を見せている裏で、一人の時間にさまざまな作品を見て自分の芸に取り込めるものがないか、貪欲に研究していたのです。そこに底知れない執念を感じます。
ビデオの見方は独特でした。基本的には倍速で見て、面白そうなシーンに差しかかると普通の速度で確認します。志村さんの笑いはご自身でも言うように、動き7割で言葉3割。映画の筋よりも役者の動きが最大の関心事なので、ストーリー部分は早送りにして、動きの笑いの場面を探していたのでしょう。