もう1つの要素「にえにすることで個人を結束させる」

もう1つ見逃せない重要な点は、「パンとサーカス」ではありませんが、国民がこぞって参加する娯楽の面があることです。これは簡単にいえば、特定の誰かをにえにすることで、バラバラになっている個人を結束させるということです。

ここでは歴史家のルネ・ジラールの供犠くぎ論が役に立ちます。

ジラールは、動物やヒトを神々に捧げる供犠を、共同体の内部で生じる個々人間の争いや暴力、怨恨、敵対関係を解消する「予防手段」と捉えました。一種のスケープゴートです。芸能人のスキャンダルや、凶悪犯罪の裁判以上に、多くの人々が盛り上がることができるゲームと化しているのです。

まったく縁もゆかりもない個人が「皇室の敵」と認定した小室家を話題にすることで、日本という大きなコミュニティの一員であることが観客席で観劇するかのように実感できるのです。これは、行き場のないストレスや不満で社会が分裂するのを防止する、国民的ないけにえという強力な安全弁による社会の統合といえます。

しかしながら、この熱狂は一時的なものに過ぎず、メディアが上演する期間が終わってしまえば、途端に目の前から消え失せることもまた事実です。これを社会学者のジグムント・バウマンは「クローク型共同体」と呼びましたが、その真意は観客席で観劇している間(クロークに荷物を預けている時間)だけ感情を共有するはかないものだからです(『リキッド・モダニティ 液状化する社会』森田典正訳、大月書店)。見ず知らずの他人が供犠によってつながる「血祭りの共同体」といえます。

一時金の辞退や皇籍の離脱で済む問題ではない

わたしたちにとって「聖なるもの」は、通常あまり意識されることはありませんが、皇室をめぐる今回の異様なまでのバッシングは、人々の心に極めて強力な新聖のスイッチがあること、それが皇室の聖性とシンクロしていることが改めて浮き彫りになったと思われます。また、コロナ禍で社会状況が悪化していく中で、全員一致で攻撃できるにえを欲し、ガス抜きしたいと望む傾向が後押ししています。

これらの視点を踏まえると、この常軌を逸した狂騒曲は決してただの空騒ぎなどではなく、心理的に恐らくかなり根深い背景要因があることが推定され、神経を逆なでするアラームが発動し続ける限りはどこまでも暴走する危険性すらあります。これが税金を使う・使わないといったレベルの調整で抑えられるようには到底思えません。

そのため、結論としては、仮に眞子さまが一時金を辞退したり、皇籍を離脱したりしても、本質的には小室・秋篠宮両家の接近、「聖域の侵犯」問題が解決されない限りは、いかなる処方箋も有効ではない可能性が否めないのです。

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