「出生数は急減し、自殺者は急増」命と国家財政は有限なのだ
コロナ禍や経済不況を受けて2020年5月以降の妊娠届出数が前年同時期に比べ約11%減少し、2021年のさらなる出生数減少が確実視されている。10月頃からは「自殺者の急増」「10月の自殺者数>コロナ死者総数」も指摘されている。
第3波到来によって年末年始のイベントは大幅縮小されるだろうし、「GoToキャンペーン」に希望をつないだ飲食店などの自営業者も冬には廃業を余儀なくされるケースが多いと予測される。今のところ、出生数回復や自殺者減を期待できる状況ではない。
「人間の命は尊い」ことに何の異論もない。だが、その一方、筆者は「高齢者の命は最大でも現役世代と等価」だという私見を持っている。どんなに病床数を確保しても、また人工呼吸器・ECMOを十分に配置したとしても、完全に老いや死を回避することはできない。それは政府や医療関係者を責め立てても、同じだ。
人の命は有限であり、国家財政も有限である。現役世代の経済苦による自死や、数万人レベルの出生減を容認してまで、高齢者の延命に社会的リソースを注ぐべきなのか……。日本社会が長年放置してきた宿題をコロナは明確に付きつけている。
コロナ禍の今こそエンディングノートの普及をすべき
今、高齢者向けの医療・介護施設では、入所者にエンディングノートやライフデザインノートの作成を勧めることがある。いずれ訪れる死が回避できない以上、判断力が保たれているうちに自分の希望を文章化して残してもらうのである。いろんな専用ノートが安価に市販されているし、市町村のホームページなどから無料ダウンロードすることもできる。
大阪府が病床数確保や看護師確保に励むことは間違いではない。ただ、「コロナの有無にかかわらず、人間が老いて死ぬ」のも事実である。医療関係者のひとりとして筆者は、コロナを契機に多くの方に、自分や家族の老いを直視し人生の終末期について考えてもらうといいのではないかと思っている。
もしくは、「鬼滅の刃」の柱のひとり、煉獄杏寿郎が「老いることも死ぬことも人間という儚い生き物の美しさだ」と言って命を落としたように、死に対する自分なりの哲学や覚悟を持ってもらうといいのではないか。
「後に伝えたい想い」についても記してもらえるよう、地道に啓蒙することも、今後しばらくは終息しそうもないコロナの対策のひとつとなるに違いない。