最後は憎めない、大勢の子供たち
清川にインタビューするため帳場の中に入れてもらったとき、ちょうど歯痛を抱えた住人が帳場の小窓に顔を出した。
「帳場さん、歯が痛いから痛み止めをちょうだい」
「三時に歯医者の予約を取ってるんでしょう。痛み止めは飲まない方がいいから、三時まで我慢しなさい」
「痛い」
「歯痛では死なないから」
「痛いよ」
「我慢できないなら、予約の時間を早くしなさい」
まるで母と子の会話である。実際、清川は歯痛の男性のことを「最近入った若い子」と呼ぶのだが、若い子といったってどう見ても40を越えている。住人の多くは清川のことを「姉さん」「成美ちゃん」などと呼び、中には「母ちゃん」と呼ぶ人さえいるが、年齢はたいてい住人の方が上だ。
清川のいるY荘は約100室あり、ほぼ満室である。
「かわいいのも、かわいくないのもいるけれど、最後は憎めない、大勢の子供たちですよ」
なぜY荘がこういうドヤなのかといえば、オーナーが「お客様は家族。お客様あっての商売」という先代の教えを墨守しているからでもあるが、清川の世話焼きは、オーナーも「成美ちゃんはやり過ぎ」と呆れるほど、濃い。
かかわってしまうと放っておけない
ちょうど私が取材に入った前日に、住人のひとりが亡くなった。帳場の前に陣取っていた親衛隊の一員だ。4年ほど前からY荘で暮らしていたが、大腸がんが悪化して1カ月前に入院。
この時点で清川は、ケースワーカーに家族への連絡を打診したが、結局、連絡はつかなかったという。
「娘さんが結婚する時、一度、家族に探されたそうだけど、結婚式には行かなかったって言っていました。昔はいい生活をしていた人だから、こういう暮らしをしていることを家族に知られたくなかったんでしょうね」
午前中に入院先の病院から「血圧がとれない」と連絡があり、午後二時過ぎに永眠。最期は清川が看取った。家族が遺体を引き取りに来ない場合、火葬と埋葬は行政が行い、遺体の搬送は病院に出入りの業者が担当する。清川には何の義務もないのだが、火葬には立ち会うつもりだという。なぜ、そこまでやるのか。
「かかわってしまうと放っておけなくなるんです。他に誰かいるならいいけれど、私がやらなかったらどうなるんだろうって……。部屋で亡くなった場合は周囲の住人さんが動揺してしまうから、部屋でお線香をあげるようにしています。そうすれば、Y荘は最後まで放っておかないんだってことが、住人さんにわかってもらえるでしょう」