父は父らしく看取ってあげたかった

清川自身は、父親を49歳という若さで亡くしている。進行性の胃がんだった。バブル真っ盛りの景気のいい時代だったこともあり、周囲の人たちはやれる治療はすべてやるべきだと主張した。当時、まだ高校生だった清川には、何も口出しをすることができなかった。知り合いの医者に頼んで手術をやってもらい、術後も、多少なりとも効果がありそうな治療はすべてやった。

「たぶん父は、苦しかったと思うんです」

気管切開術を受けたシニアの患者
写真=iStock.com/ugurhan
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一方、義父の最期はまったく違うものだった。いったんは入院したものの、チューブに繋がれるのは嫌だと言って病院から帰ってきてしまい、自宅で往診を受け続けた。点滴はしたものの導尿は拒否。亡くなる3日前まで、もう歩けない体で「自分でトイレに行く」と言い張った。

「私も自分が逝くときは、義父のように一切チューブには繋がれたくないと思います。実父の時は、彼らしく看取ってあげることができなかった……」

そう言うと清川は、はらはらと涙をこぼした。

恐怖心を紛らわすため、酒に手を出す

清川が忘れることのできない住人に、マー君という人物がいた。

若い頃、覚醒剤に手を出していたというから、いま風に言えばやんちゃな人物だったのだろうが、Y荘は「過去を問わず、いま頑張っている人ならOK」がモットーだから、諸々を了解した上でマー君を住人として受け入れていた。

マー君は覚醒剤からは足を洗っていたものの、肝臓がんを患っており、入院退院の繰り返しを余儀なくされていた。

「入院が一カ月をこえると、生活保護費を削られてしまうんです。だから、一カ月になる直前に一度退院をして、一週間ぐらいここに帰ってきて、また入院する。また一カ月ギリギリまで入院して、一週間戻ってくる。マー君はこれを繰り返していました」

こうしたやり方の是非はともかく、この一週間の帰還はマー君にとって微妙なものであった。気の弱いマー君は病気の進行に強い恐怖を感じていたから、病院から出てくると恐怖心を紛らわすため、どうしても酒に手を出してしまう。そして酒を飲むと、ふらふらとかつての兄貴分に会いに行ってしまうのだった。

「兄貴に会うと、なんで電話をかけてこなかったんだと殴られ、借金を返し切っていないと因縁をつけられて、なけなしの保護費を奪われてしまうというんです。私は心配で部屋のドアをノックするんだけど、殴られた跡を見られたくないからって、部屋から出てこないんですよ」