日本で「クラシックは敷居が高い」とされる理由
【三宅】日本では「クラシック音楽は敷居が高い」とか「クラシックは教養として身につけるものだ」といったお堅いイメージが強いですが、なぜでしょうか?
【宮本】日常からの距離が遠いからだと思います。ヨーロッパに行くとクラシック音楽が生活に溶け込んでいますよね。街中で普通にカルテットを演奏している人たちがいたり、電車の中でヴァイオリンを弾いている人がいたり。たとえば、向こうにいると楽器を背負っているだけで知らない人が「ヴァイオリンやってるんだね」とか「どんな曲やってるの」と聞いてくれたりするのですが、日本だとまずありません。日本では情報として耳に入ってくる量が圧倒的に少ないからだと思います。
【三宅】本来は教養のためでもなんでもなく、「音を楽しむ」のが目的ですからね。
【宮本】そうなんです。
【三宅】「街の違い」みたいなものもありませんか?
【宮本】それもあると思います。ヨーロッパに行くとあまり時計を気にしないというか、ゆっくり時間が流れますね。日本はその逆で、それはドイツから帰ってきたときに痛感しました。そうした時間の取り方の違いが、心の余裕みたいなものに表れ、それが日々の行動の選択に反映されるということはあると思います。
【三宅】とくに東京はせわしないですからね。だから小さな時からクラシックに親しんで育った人か、年配の人しかクラシックに興味を持ってくれない。普通の若い人は「クラシックのコンサートに行くヒマがあったら、他のことをしよう」みたいな。
【宮本】はい。私がいろいろなジャンルのアーティストとコラボをしたり、ポップス曲を作曲したりするのも、いまクラシックに興味がない人にクラシックをより身近な存在として捉えてほしいからです。「ヴァイオリンっていいな」「ヴァイオリンってこんなこともできるんだ」「何気なく耳にしていたあの音楽、クラシックだったんだ」みたいに、ヴァイオリンという楽器やクラシック音楽に意識を向けるきっかけを作りたいと思いながら活動しています。
【三宅】素晴らしい。宮本さんの活躍でクラシックがもっと日常に根づくことを願っています。