都会暮らしに疲れた若者を惹きつける島根県の津和野町
本州の西のほうにある島根県の津和野町は、若い就業者を惹きつけようと、より積極的な策を打ち出した。私は、津和野の町役場の東京事務所に勤務する宮内秀和と津和野のプロジェクトにかかわる林賢司と東京で会った。50代の宮内が見せてくれた資料によると、津和野の人口は1980年には1万3400人だったが、2015年には7600人に減少している。
「このところ人口が毎年11パーセントずつ減っています」
それに対抗するべく、町の魅力をアピールする広報拠点を東京に置くことになった。しゃれたロゴ、質の高いウェブサイト、多彩なキャンペーンをつうじて、都会暮らしに疲れた若者を惹きつけようと活動している。ある程度の成果はあがっている。31歳の林は、窮屈な東京暮らしがいやになって津和野に移り住んだそうだ。住居費が安く、地元コミュニティは温かく、長時間の通勤が不要なところを称賛する。「町の試みは一定の成功を収めたと言っていいでしょう」と宮内は笑う。
「だって、去年は8パーセントしか人口が減らなかったんですから!」
提案された合併がことごとく破談になる
藤里や津和野のような地域がとくに懸念するのは、学校や病院などの公共サービスの維持がむずかしくなってきていることだ。そのため、日本の小さな農漁村では村の合併が大きな関心を集め、政府も人口減少の続く地域の統合を前向きにとらえている。縮みゆく村が政治問題になりつつあるイタリアやポルトガルでも、いずれ同様の政策がとられることになるだろう。合併はいいアイデアだ、とある地元住民は言う。町や村がバスや学校や図書館などの公共サービスを共有できれば、閉鎖されずにすむからと。
だが悩ましいのは、提案された合併がことごとく破談になることだ。そもそも、合併後の新しい町村名をどうするか、のところから話はまとまらない。町村の名前には歴史的に重要な意味が込められていたり、地域の自然を描写していたりする。
藤里からの帰り道で見た町村名も、井川(多品種の桜の名所)、長面、五城目など個性的だった。合併時には名前の漢字をつなげることがよくあり、そうすると、見た目が冗長なだけで意味の乏しい町村名になってしまう。秋田市に近い潟上市は、昭和町、飯田川町、天王町が合併して誕生したが、潟上という名前は、もとの町の名前とは切り離し、史書の記録に従ってつけたそうだ。合併でできたある自治体に住む人は複雑な気持ちをこう表現した。「古い町の名前には深い意味があるからね。いまふうの名前を聞くと寂しいね」
町村同士のライバル意識や序列も合併の機運を萎えさせる。ある地域で序列が上と目される村や家系は、伝統的にその地域の始祖であったり、狩りや漁をつうじて民を養ってきた由来をもっていたりする場合が多い。たとえば木沢集落は、熊の猟師の里として有名で、獲物を捕らえる手腕や、熊の部位から伝統薬をつくる知識に周囲から深い敬意が払われてきた。そうした家系や集落の出身者は、非公式ながら強大な発言力をもち、選出された町村長や役所の担当者が進めてきた合併計画を遅らせることがある。