本当にすごい!『フェルマーの最終定理』に描かれた数学者たち
また、普段は見過ごしがちなことをクローズアップしたり、意外なところからヒントを得たりすることの喜びは、科学書の醍醐味といえます。『ヤモリの指』もそのひとつ。ナノとマクロの中間に位置する研究で、様々な生物の機能をテクノロジーに繋げようとした事例が紹介されています。
例えばタイトルにある「ヤモリの指」とは、次のような研究です。
ヤモリは天井に張りつくことができますが、それはなぜなのでしょうか。顕微鏡で足を拡大していくと、1匹のヤモリには非常に小さな接触点が約10億個も備わっていることがわかるそうです。それをテクノロジーに応用すれば、接着剤を使わないテープがつくれるかもしれない――実際にそうした研究が行われているのですね。
あるいは蚊が持っているセンサー、蠅が死肉を嗅ぎ分ける仕組み、蓮の葉はなぜ水を弾くのか……。
身の回りを見渡すだけで、ほかにいくらでも見つかるでしょう。つまり、ぼくらが当たり前だと思っているものでも、よく注目してみると、そこに技術に活かせるような不思議が見つかる。実際にテクノロジーとして使えるかはともかく、そうした視点は物事を見る際の大きなヒントを与えてくれると思います。
さて、「俯瞰して物事を描いている本」という条件でいえば、サイモン・シンの一連の作品は安心して楽しめると思います。『暗号解読』や『宇宙創成』など彼の作品はどれも面白いのですが、ここでは『フェルマーの最終定理』を挙げておきましょう。
フェルマーの最終定理は17世紀にフェルマーが提示したのち、20世紀末になるまで解かれなかった屈指の難問です。その間、多くの数学者がこの問題を証明しようと立ち向かうのですが、本書はその歴史的な経緯をつぶさに描いていきます。
執筆時、著者のサイモン・シンは英BBCのディレクターであり、数学の専門家ではありません。にもかかわらず、全体を理解したうえで数学史の要点をわかりやすく押さえ、証明をめぐる数学者たちの格闘を描いてしまう勉強ぶりは本当にすごい。
様々な数学者が挑戦し、敗れ去り、一方では負けることで新たな分野を切り開く。数学者・ワイルズが証明を完成させるまでの葛藤などを筆頭に、300年の歴史の中で展開された一つ一つのシーンがドラマティックに描写されるのです。本と対話をしているような気持ちになってくる一冊です。
ただ、科学者たちの熱意は、ときに歴史を誤った方向に進ませることもあります。
そんな科学の二面性を突き付けてくるのが、『原子爆弾の誕生』と『飛び道具の人類史』の2冊です。前者は原子爆弾以前の量子論から、広島・長崎の惨状までを一貫して描き、後者は人類の「ものを投げる能力」の発達を追っています(副題は「火を投げるサルが宇宙を飛ぶまで」)。
科学には人に役立つ面だけではなく、人を殺してしまうような一面もあることを忘れてはなりません。本来、科学は人々の便利さと幸福のために使われてほしいけれど、必ずしもそうはなっていない歴史が一方にはあるわけです。
科学者には一度熱中し始めると、他のことが見えなくなってしまうところがあります。
目の前に「世界初」なんてものがぶら下がっていると、それこそもう何も見えなくなる。だからこそ、「それだけではいけない」というモラルを常に心に留めておきたいし、一般の人々が科学の世界に触れる際も、「科学者が面白さだけで走ってしまう怖さ」を知っておくことが大切だと思います。