「PCR教信者」のA派、「人命軽視」のB派

既存メディアがもっぱら前者ばかりなのは、公的に発表された数字なら自らの責任は問われずに「政府がこう言っている。大変だ」と安心して騒げるのと、長年の習癖でクレームに過敏になるあまり「人命第一」という建前を崩せず、仮に現場の記者が後者であってもそれを実際の報道に反映しづらいという側面があるだろう。

ともあれ、互いに相いれることのなさそうな両者は、お互いのどこが気に入らないのだろうか。仮に前者を「A派」、後者を「B派」と呼ぶことにして、一部を検証してみようと思う。

A派の目に、B派はどう映っているのだろうか。列挙すると、

1)人命軽視。「新型コロナはインフルエンザと同じ」だと思っている
2)死亡者が他国より少ない日本はスゲーと思っている
3)3密回避など、自粛の決めごとをちゃんと守らない、守れない
4)「死んでも仕方ない人」を想定。死者多数のスウェーデン「ノーガード戦法」が理想
5)「経済か命か」の2択で金もうけ優先の前者を選びかねない

逆に、B派から見たA派はどうだろう。

1)感染者数の増減だけみて一喜一憂。感染と発症を同一視している
2)日本人の死亡者数の少なさに目が向かないか、「誰かが隠している」と疑っている
3)マスクを取ったり、社会的距離を守らないと、「即感染する」とおびえている
4)精度の怪しいPCR検査を崇拝する「PCR教」信者
5)「経済か、命か」の2択で、後者を絶対視。お金に余裕がある人たち

見逃しがちな、苦しい病状と後遺症

こうして両派ともお互いを“情弱”呼ばわりするわけだが、A派がB派を不道徳視する大きな理由の1つは、感染者数の激増をほぼ無視して、最悪でサイトカインストームを起こして苦しみのうちに死に至るコロナの恐ろしさを軽視する、極端に言えば「放っておいても万事OK」「老人と病気持ちは多少死んでも仕方ない。それ以外は死なない」と残酷に割り切っているように見えることだ。

感染者が増えれば発症者が、ひいては入院患者も増える。新型コロナが今も指定感染症に定められたままなので、PCR検査で陽性が出れば、原則的に無症状の人も軽症の人もすべて入院隔離措置が執られるからだ。だから重症者・死亡者数は増えずとも医療現場の負担は重くなる。コロナを指定感染症から外すという選択は、今の政府は念頭にないようだ。

さらに、すでによく知られているように、「軽症」と診断された患者の症状は、素人が想像する「軽症」よりずっと苦しく、重い。後遺症もまた無視できない。すでに退院後の患者のめまいや味覚障害、酸素投与の必要な事例などが報じられている。このあたりに思いが及ばぬB派は意外に多いようだ。