誰もが「印象操作」で優位に立とうとする

特に会議やSNSなど第三者の目がある場合、本来の論点から人格攻撃に論点をずらすことで、会議の参加者やSNSの閲覧者に「こんな人物の意見が正しいはずがない」と印象づけ、相手より優位に立つことを狙います。

なんと姑息な屁理屈だと思いませんか?

しかし実は、子供から大人まで、私たちは意識、無意識に関わらず、こうした「印象操作」を行ってしまう。それをまず自覚すべきです。

野党代表の国籍問題や与党閣僚の過去の発言を取り上げて「こんな政治家の言うことなど聞くに値しない」と結論づけるのも、子供が「○○ちゃんはいつも……」と人格批判をして自分の意見を通そうとするのも、根っこは同じ「印象操作で優位に立とうとする行為」です。

正直に言えば、私自身こうした論点のすり替えを行った経験があります。いや、こうした論点のすり替えをやったことがない、という人などいないのではないでしょうか。

それほど社会に溢れる「揚げ足取り」という論点のすり替え。では、どうしたら論点のすり替えを行わず、また攻撃される対象となったときに身を守れるのでしょう。

「謝ったら死んでしまう病」にかかったら本末転倒

まず、自分が人格攻撃をされている当事者であれば、「謝ってしまう」のが一番です。「ああ、確かに言い方がまずかったですね。それは申し訳ありません」と、きちんと過ちを認め、謝罪してしまう。

その上で「ですが、本来の論点は……」と議論を本筋に戻すのです。これにより、相手は一時的には優位に立てるものの、それ以降は本来の論点で議論するほかなくなります。

うまくいけば「ちゃんと謝った」ことで、会議の他の参加者やSNSの閲覧者からきちんとした人という好印象を獲得し、揚げ足取りを逆手に取れるかもしれません。

しかし、こうした理屈がわかっていないのか、それともわかっていてもやらないのか、政治家にしろSNSの発言者にしろ(前述のAさんもそうです)、なぜか自分の非を認めて謝ることができない人が多すぎます。まるで「謝ったら死んでしまう病」にかかっているかのようです。

その根底にあるのは、たぶん「ちっぽけなプライド」なのでしょう。自分の経験やスキルに自信があり、自分は正しいことを言っていると思っている。また、「その道のプロ」や「○○という肩書き」といった地位を守りたい。

だから、自分の非を認めることなどできないし、する必要もない。よって、揚げ足取りをされたとしても、謝る必要などないし、揚げ足取りをやってきた方が悪い。

せっかく生産的な議論を重ねて社会的な地位を得たとしても、そういった考えを続けているうちに「謝ったら死んでしまう病」にかかってしまうのだとしたら本末転倒です。