武道センターの定礎式は82年5月9日午前9時から開かれた。この直前、エジプトはイスラエルとの交渉でシナイ半島の返還を実現していた。国中が祝賀ムードに包まれる中、定礎式にはカマル・ハッサン・アリ、青少年スポーツ相のアブドル・ハミド・ハッサンのほか軍や五輪委員会の幹部が顔をそろえた。柴田、アリ、ハッサンの三人が、エジプト国旗と同じ黒、白、赤の3つの石で定礎した。名称は「国士舘カイロ武道センター」と決まり、アリが総裁、岡本が理事長に就任した。岡本はアリと二人三脚でプロジェクトを推し進めていく。

「砂漠の黒帯」の活躍は日本にも広まり…

このころから日本メディアでは、中東での岡本の活動や、彼がエジプト政府に個人的な人脈を築いていることに注目する報道が増えていた。日本経済新聞は82年1月31日朝刊一面で、「砂漠の黒帯」の見出しで彼を紹介している。

〈日本ではほとんど知られていないがエジプトでは英雄。アラブ空手の生みの親だ。(中略、岡本が)街を歩けば、「モダレブ・カラテ」(空手先生)と握手を求める男たちがひきもきらない。〉

小倉孝保『ロレンスになれなかった男 空手でアラブを制した岡本秀樹の生涯』(KADOKAWA)

「握手を求める男たちがひきもきらない」というのはやや誇張した表現だと思うが、空手がこの地に根付いていたことは確かだろう。そして、その背景の一つとしてこの記事は、岡本が政官界に築いた人脈を挙げている。

〈ムバラク大統領親子もエジプト空手連盟の会員。子息には岡本氏自身がてほどきしたこともある。イスラエルとの外交交渉の立役者、アリ外相とは国防相時代からの旧知の間柄。空手を通じての人脈は内務省、軍隊を中心に政官界に奥深くひろがっている。〉

読売新聞も82年11月6日の「世界の中の日本人」でカイロ特派員が、「アラブ世界で空手の普及に努める岡本秀樹さん」として、こう紹介している。

〈今、アラブ諸国は空前の空手ブーム。どこへ行っても、日本人だとわかると、子供たちが「カラテ」と叫んで、寄ってくる。(中略)このアラブの空手ブームの頂点に立つのが岡本さんである。〉

岡本はアラブ各国に空手連盟を作った。シリア・ダマスカスの警察学校で空手を指導した12年前のことを思うと隔世の感がある。岡本はこのころ、「アラビアのロレンス」になれるかもしれないと感じ始めていた。

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