「これからの世界は日本の武道精神が必要だ」
大臣は総長にこう述べた。
〈「複雑化しつつある国際情勢においてこれからの世界は、日本の武道精神が必要であると考える。したがって、アメリカ、ブラジルにおけると同様、国士舘大学の支部をエジプトにも開設してほしい」〉
大臣はすでに国士舘大学がカイロに支部を開いていることを知らなかったようだ。また、国際情勢が複雑化しているため武道精神が必要というのは意味不明である。とにかくエジプト側は何としてでも投資を呼び込もうとしていたようだ。
国士舘大学はエジプト政府と「武道交流協定」を締結し、カイロに武道センターを建設する計画が動き出す。
一方、日本の外務省はこの武道センター建設計画に反対している。岡本はそのことを知らない。梵天の長男、德文はこう証言する。
「カイロに行く前、私が外務省に呼ばれました。文化外交を担当する部署です。エジプトで何をやるのかと聞かれ、武道の演武をやると説明しました。すると外務省の方から、『エジプトから武道センターの話があっても一切乗るな』と釘を刺されました」
外務省の忠告もすっかり忘れ…
德文によると、岡本は最初、武道センターの建設を日本政府に持ちかけていた。政府開発援助(ODA)を使って武道センターを建てようと考えたのだ。エジプト側もそれを期待していた。一方、外務省は岡本主導で武道センター建設計画が進むことを嫌ったようだ。外務省が乗ってこないので、岡本はこの計画を国士舘大学に持ちかけたというのが真相に近い。
外務省からの忠告にもかかわらず、柴田梵天はエジプト政府の要望に応じた。エジプト空手協会の代表、カリム・ナフィアは柴田にこう話した。
「私は日露戦争のころから日本を特別な国だと思っている。欧米諸国に対してアジアが勝利したからだ。そして、今また日本は戦後復興を見事に成し遂げた。その原動力は日本人の精神にある。武道を通して日本人の精神を学びたい」
この言葉に感動した柴田は外務省に釘を刺されていることをすっかり忘れ、武道センター建設を目指すことになる。
定礎式には軍幹部や五輪委員会も出席
サダト政権崩壊後もエジプト政府と国士舘大学で武道センターを建設するプロジェクトは順調に進む。柴田梵天は81年11月末にカイロを訪れ、詰めの話し合いをしている。エジプト側が土地を提供し、大学がセンターを建てることになった。建設費は約3億円。建物の所有者は国士舘大学とすることも決まった。
エジプト側は提供できる場所としてカイロ中心部のザマレクのほか、無名戦士の墓近くの土地など2カ所を提案した。柴田たち大学一行はその3カ所を見て回り、最終的に無名戦士の墓近くの土地を選ぶ。暗殺されたサダトの眠る場所にも近かった。岡本は自分を支援してくれたサダトへの感謝の意味も込め、この場所が選ばれたことを喜んだ。