1970年代、シリアに派遣された空手家・岡本秀樹は着実に生徒を増やし、空手の認知度を高めていった。だが、シリアの警察に空手を教えていた岡本は反体制派とみられる勢力に襲撃され、重傷を負う。日本大使館が治療費を出し渋るなか、岡本の命を救ったのは——。(第2回/全3回)

※本稿は、小倉孝保『ロレンスになれなかった男 空手でアラブを制した岡本秀樹の生涯』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

コルセットをしたまま空手をする岡本秀樹氏
提供=岡本秀樹氏
首の骨折から復帰し、コルセットをしたままベイルートで空手指導を再開した岡本秀樹氏(前列中央)。左は吉村徳政氏

滞在期限が迫る中、岡本は…

シリアでの嵐のような2年が過ぎ、1971年末、岡本の青年海外協力隊(JOCV)派遣は終わる。彼はシリアに残りたかった。あと数年、シリアやレバノンで指導を続ければ、地元に空手指導者が育つ。

砂漠にまいた空手の種は小さな芽を出しそうだった。このまま育っていけば、空手がアラブ一円に広まることも期待できる。岡本は海外技術協力事業団(OTCA)に派遣期間の延長を求めたが、受け入れてもらえなかった。たびたび問題を起こしている岡本に対し、大使館での彼の評判は最悪である。OTCAが契約延長を認めるはずはなかった。

そこで岡本を助けたのは、獣医師としてアラブ諸国の畜産業向上に貢献していた折田魏朗ぎろうだった。

「せっかくアラブ人が空手を受け入れようとしている。何とか岡本を残してやってもらえないだろうか」

折田は日本大使館の国際協力担当職員と折衝してくれた。大使館での折田の評価は高かった。

最終的に彼の意見を大使館側が聞き入れ、岡本はこの地域に残れることになる。