後任としてシリアに派遣された吉村徳政という男
岡本はいったん帰国し、改めて空手指導専門家としてOTCAからレバノンに派遣されることになった。今度はベイルートを拠点にシリアでも空手を指導する。さらにOTCAは、シリア政府からの要請を受けて岡本の後任をダマスカスに派遣することになった。これでシリア、レバノン両国に日本人指導者がいる態勢が整う。岡本は74年、OTCAが国際協力事業団(JICA)になるのに合わせてJICAの専門家となる。
レバノンで空手指導を続けられることになった岡本は71年末、いったん帰国して小川ヒロミと結婚している。ヒロミはマレーシアでの国際協力活動を終えたところだった。岡本の実家で結婚式を挙げ、2人は72年2月、ベイルートに渡る。
一方、岡本の後任としてシリア中央警察学校で空手を教えることになったのは吉村徳政である。45年生まれ。駒澤大学空手道部出身で、東急系の商事会社に勤めていた。海外にはまったく興味がない。就職してしばらくした71年、日本空手協会の指導員、大石武士からシリア派遣を打診されている。大石は駒大空手道部の先輩だった。大石の依頼となれば、吉村は簡単には断れない。
吉村がダマスカス国際空港に到着すると、岡本のほか警察学校の生徒が迎えにきていた。指導を始めてみると、施設は整い、生徒もやる気を見せている。岡本が空手の基礎をしっかり作っていることを、吉村は感じた。
「岡本秀樹の政治力のすごさを見た気がしました。私が行ったときには、柔道の生徒よりも空手の生徒の方が多くなっていました。岡本さんが空手の地位を上げていたんです」
野心家の「問題児」と決闘に
吉村は最初の指導で洗礼を受ける。生徒の中に「問題児」が一人いたのだ。シャムスディン・ソファラディだった。空港からダマスカス市内に向かう車の中で、吉村は岡本に、「シャムスには気をつけろ」と聞かされている。シリアの空手界を牛耳る野望を膨らませているのだという。
岡本はシリアに空手の種をまいた。2年で種から芽が出た。空手界は萌芽の時期に入っている。ソファラディはダマスカスで自分の道場を開いていた。
岡本のシリアでの任期が終わる。これで自分の時代が来たとソファラディは思った。シリアに空手協会を作って会長にでもなれば、自分は30代にして不動の地位を築き、道場で金儲けもできる。そうした野望を持つソファラディにとって吉村は邪魔な存在だった。何とかして屈服させようとするだろう。それを感じた岡本は吉村に、「気をつけろ」と忠告したのだ。
吉村の稽古初日だった。基本練習の後、組手に入る。最初は約束組手である。攻撃する方が目標を相手に伝え、そこを攻撃する。受ける方はどこを攻撃されるかわかっているので、それを防御する。例えば、攻める方が「上段行きます」と言い、左右の手で交互に顔を突く。受ける方はそれを腕で防御するのだ。