震災後の窮状を必死に訴える彼女たち
95年の阪神大震災からしばらく経ち、以前の選挙区だった芦屋の女性数人が議員会館に小池を訪ねた。震災後の窮状を必死に訴える彼女たちに、〈小池は指にマニキュアを塗りながら応じた。1度として顔を上げることがなかった〉。塗り終えると指先に息を吹きかけ、こう告げた。
「もうマニキュア、塗り終わったから帰ってくれます? 私、選挙区変わったし」
2002年の小泉訪朝。横田めぐみさんは死亡と知らされた会見の席で、父の滋さんは涙で言葉を詰まらせた。妻の早紀江さんは気丈にも、夫の分まで思いを訴える。夫妻の真後ろには、黄緑色のやけに目立つジャケットを着た小池が立ち、被害者家族の肩に手を回しつつ、涙を拭った。会見が終わり、部屋には家族らが残され、大きな悲しみに包まれていた。そこへ、いったん退出した小池が駆け込んできて、大声を上げる。
「私のバッグ。私のバッグがないのよっ」
部屋の片隅にそれを見つけると、横田夫妻もいる部屋で、彼女は叫んだ。
「あったー、私のバッグ。拉致されたかと思った」
目撃した蓮池透さんは、「あれ以来、彼女のことは信用していない」と自身のツイッターで明かしたという。
臆面のなさ、節操のなさ。この政治家に真面目さを求めることの虚しさを、著者は鮮やかに浮き彫りにする。