敵対行動があっても融和策を推進した

南北首脳会談とは別に、1998年と2000年で3度にわたって、現代グループの鄭周永名誉会長(当時82歳)ら一行が南北境界線の板門店から陸路で北朝鮮を訪れた。この訪問には、牛1001頭や自社製の乗用車などを「上納金」として携えていた。

当時の韓国世論は「金剛山観光」や「牛1000頭を手土産に里帰り訪問」(鄭名誉会長は現在の北朝鮮出身)といった情緒的な南北交流イメージやマスコミによる盛り上げもあって、それほど反対意見は出ていなかった。つまり、和解ムードが大勢を占めていたのだ。

韓国政府は、2度にわたる北朝鮮潜水艇侵入事件(1996年・1998年)などの北朝鮮の敵対的な態度にもかかわらず、一方的な支援・協力が長期的には金正日政権を開放・改革に導くとする楽観論に立っており、「政経分離」による対北融和策を維持、推進した。

しかし、北朝鮮は韓国に対する敵対的な姿勢を崩さず、政府間対話をかたくなに拒否し続けた。これについて、保守系紙「朝鮮日報」などの対北強硬派や保守層を中心に「太陽政策」は北朝鮮の体質を知らない楽観論だという批判が起きた。

2000年代後半からは制裁が強化された

盧武鉉大統領の後任である李明博(イ・ミョンバク)大統領(2008~2013年)は、外信のインタビューで、「過去10年間、(北朝鮮に対して)巨額の支援を行ったが、それらは北朝鮮社会の開放に使われることなく、核武装に利用された疑いがある」と発言した。

保守指向を示した李明博政権・朴槿恵(パク・クネ)政権(2008~2017年)では、「太陽政策」は放棄され、北朝鮮に対する制裁が強化された。

2010年に起きた、北朝鮮軍による韓国海軍の哨戒艦「天安」爆沈事件と、黄海上の韓国領の島である延坪島(ヨンピョンド)に対する砲撃事件に対応して制裁措置を取ったのだ。翌年、金正日(キム・ジョンイル)総書記の急死により権力を継承した金正恩が、核とミサイル開発を本格化したことで、国連主導の国際制裁も強化された。

韓国政府は2017年9月21日、南北交流協力推進協議会を開き、国連児童基金(ユニセフ)や世界食糧計画(WFP)を通じた北朝鮮に対する800万ドル(約8億5500万円)相当の人道支援実施を決めた。これが文在寅政権下では初となる援助だ。