政策を進めるのが、本来の「選挙の使い方」

2014年の衆議院解散総選挙のときに、僕は日本維新の会の代表としてテレビの党首討論に参戦した。そのときのCM中に、安倍さんに「総選挙を利用しなければならないほど、増税延期をすることは大変なことなのですか? 総理の権限で進めるわけにはいかないのですか?」と問うた。

そのときに安倍さんは「周りはみんな増税だって言うからね」と言っていた。財務省をはじめ、自民党の中でも増税論者は山ほどいる。世間でも増税の必要を説くメディアやインテリが山ほどいる。財界までもが増税を言っていた。

そして税と社会保障の一体改革として、すでに法律もできている。社会保障を充実させるための財源として消費税の増税が必要だというロジックは、思いのほか世間に浸透していた。このような状況で増税をストップするには、解散総選挙で勝利し、国民の信を得るしかない。

いったん決まった増税について、「増税ストップ」と口で言うのは簡単だけど、それを実際にやるのはほんと大変なんだよね。

そして、これが本来の「選挙の使い方」だと思う。下がり続ける支持率を食い止めるために選挙を使うのは邪道だ。

(略)

僕は番組で、安倍さんも重々わかっていることをあえて質問として投げかけた。

「総理のお爺さんである岸(信介)首相は、日米安保条約の改定を断行されました。当時は日本国中で反対の嵐が吹き荒れました。それでも岸首相は改定を断行し、その責任をとって退陣しました。その後現在に至るまで、日米安保条約の改定は本当に日本にとって必要なことだったと国民の多くが痛感しています。今、日米安保条約についてそもそも反対だという人は、ほとんどいません。こういうことを成し遂げるのが政治家の仕事だと思います」

経済をよくすることは政治の役割として当然のことである。しかし経済は、その時々の国民の利益。それと同時に、国家の将来の背骨にあたる部分をしっかりと組み立てていくことも政治の重要な役割だと思う。

その背骨の一つが、憲法改正の国民投票だ。