「前金ナシ」政府の高圧的なマスク買い付け

さんざん言及されていることだが、そもそものブツが小さいうえにヒモが短くて伸縮性に欠け、耳の根っこまでしっかり引っかけられぬ代物。ダメ押しとなったのは、不良品の混在だろう。カビや毛などの異物が混入していたり、黄ばんでいたりしていたとの報告が全国各地から寄せられてきた。そもそもの使用目的を考えると本当に清潔でちゃんとした工場で生産されたのか? と疑念を抱かざるをえない時点でダメ出しされても仕方あるまい。

官邸周辺からも、「マスクが市場になかったわけではないのは本当。3Mのちゃんとした規格品を買いそろえている国や企業はあった。なのに、政府の買い付け方じたいが高圧的で、ありえないヘタさ加減。『前金ナシで』って、業者が引くに決まってる(笑)あれじゃ、ちゃんとしたマスクは回ってこないよ」という声も漏れ聞こえてきた。

今さら引き合いに出すのも何だが、『孫子』いわく「兵は拙速を聞くも、いまだ功の久しきを見ざるなり」。少々ラフでもスピード重視、戦いをダラダラ長引かせて勝った奴はいないというわけだ。大衆受けを狙った政策が正しいことはあまり多くないが、後世においても、「実効性でも人気取りの面でも、466億円はムダに終わった」と評されることになるのは確実だ。

「真意が伝わらなすぎて残念なので、ちょっと説明します」

このアベノマスクに関連して注目されているのは、首相官邸に詰めている各省庁出身の少数のキャリア官僚。従来の政権にはなかった存在で、2014年の内閣人事局設置で霞が関の人事権を掌握した首相官邸の“威光”をかさに、絶大な権力をふるっているとされる。経産省出身の今井尚哉・首相秘書官は、安倍首相の欠かせぬ相談役としてすでによく知られているが、同じ経産省出身の“一の子分”佐伯耕三氏がこのマスク・プロジェクトの発案者だとされている(週刊文春5月7・14日号より)。

実際に“マスク担当”だった経産省官僚が、自らフェイスブックの公開投稿で“シェアして欲しい話”として「エラく馬鹿にされているこの話、関与した身としては真意が伝わらなすぎて残念なので、ちょっと説明します(広報マズすぎ)」と、実名で説明を試みていた(現在は削除)。

・飛沫防止のため、マスクはしてもらいたい
・しかし、「不織布の使い捨てマスク」(医療用サージカルマスクも一般用も、実は中身は同じ)には生産能力限界がある
・だから、使い捨てマスクは医療機関に優先的に回したい。そのため、僕ら国民一般は、繰り返し洗濯できる「布マスク」か「自作マスク」あたりでしのぎたい
・ただ、この昔懐かしの「布マスク」なんて今時売ってなくて、新たに作る必要があるが、政府が買い上げる約束でもしなけりゃ、メーカーは怖くて何億枚も作らない。だから政府買い上げの形で発注する必要があった(200億円払う理由はここ)。
・また、配布のときに行列ができて感染クラスターをつくる恐れから、日本郵便の全戸無差別配達サービスやるしかない(輸送費かける理由はここ)
・なお、平均世帯人数は約2人。個別の世帯数に合わせて丁寧になどやってられないし、2枚配るのが精一杯だから、まず2枚。

「みんなマスク欲しがってんだろ。じゃあただで配っといてやるよ」

理由の詰め方はいかにも優秀な官僚なのだが、視界に入ったものだけを思考のタネとした一方通行のロジックに思える。何より気になるのは、「マスクを配ることのそもそもの目的は何か。目先の感染拡大防止か、それとも長期的な安心か。優先順位は高いのか」等々、そもそもの目的とそれがもたらす結果に対する意識の極端な希薄さだ。正直、「みんなマスク欲しがってんだろ。じゃあただで配っといてやるよ」程度の思い付きにしか見えない。そこに466億円が投じられた。先の佐伯氏が発したという「配れば不安はパッと消えます」「数さえそろえばいい」という言葉と、我々の「は?」という疑念との差が、「アベノマスク」の浮き具合を際立たせる。

卓越した社会学者であった故小室直樹著『危機の構造』(1976年刊)は、「人ひとが誠心誠意、真剣になって努力すればするほど、努力目標と異なった結果を生ぜしめ、日本全体をもう一度破局に向けてまっしぐらに驀進させる社会的メカニズムを生み出す」“構造的アノミー”の展開を分析した名著である。同書の言及は、令和の今になっても面白いくらいに通用する。