「自分で考えるのが面倒くさい」のではないか

この言葉が頭に浮かんだら、どのような思いで任せようとしているのかを自分に問いかけたほうがいいでしょう。

つきあいの長いかかりつけ医など、相手への信頼がベースにあり、「この先生なら間違いなく私を、私にとって最善の道に導いてくれるだろう」との確信に基づいて積極的に任せようと思うのか。それとも「自分で考えるのが面倒くさいから任せてしまおう」「難しくて手に負えないので任せるしかない」など、消極的な動機からなのか……。

たとえば、がんのような重大な疾患で大病院にかかり、まだつきあいの浅い医師と向き合った場合は、自ずと後者のケースが多くなるでしょう。これは患者さんの“主体性の放棄”にほかならず、治療方針が不本意な方向に進んでしまう可能性があります。

なぜなら「お任せします」といわれた医師は、「患者さんは私の説明をきちんと理解し、私を信頼して任せてくれた」と勘違いし、患者さんにとってではなく医師が最善と思う治療法を迷わず選択することになるからです。

最善の治療は「患者の価値観」と「医師の専門知識」で実現する

安易に医師に委ねるのでなく、自分自身で最善の決断をするための基本は、時間と心の余裕を持って対応すること。結論をいつまで待てるかを確かめ、その間に情報や自分の考えを整理し、信頼できる人と相談する期間などを設けることが大事です。

尾藤誠司『医者のトリセツ 最善の治療を受けるための20の心得』(世界文化社)

この場合、治療のバリエーションは多いほうが、望ましい道を選べる可能性も広がります。より多くの選択肢を提案してもらうには、医師に自分の情報を伝えることが必要です。

患者さんが医療に関する専門知識や十分な情報を持たないのと同じように、医師には患者さんの仕事や家庭の事情、生きがいや趣味など価値観に関する十分な情報がありません。

それらを医師と共有することで、治療を受けないという道も含めて選択肢が増え、より主体的に医療を受けることができます。

ポイントは、自分が「絶対に嫌だ。これだけは譲れない」と思う事柄や心配事を伝えること。痛いのは耐えられない、仕事を長期間休むわけにはいかない、食べる楽しみだけは奪われたくない、など。それらは裏を返せば自分が望む状況であり、医師の頭を刺激して「それならこういう方法もあります」と新たな提案がもたらされることにもつながります。最善の医療は、患者さんの価値観や希望と、医学的専門知識の両方を考え合わせて初めて実現するのです。