それでも高級外車と同様に、将来的に高値で売れればタワマンは資産価値が高いといえるかもしれない。だが、人が考えることはみな同じだ。投資の世界でもよく見られる現象だが、価値が上がり始めれば投資家の多くがどこかで利益を出そうと売りに走る。また価値が下がり始めれば、狼狽して売りに出す投資家が増えて価値の下落に拍車をかける。

投資家の購入、所有が多いタワマンはこうしたマーケットリスクには敏感だ。そしてタワマンは普通のマンションと異なり、一棟の戸数が数百戸から1000戸を超えるものもある。つまり希少性は低いのだ。投資家たちが同じ行動をするということは、同じタワマンで一気に売り物件が増えることを意味する。一時にたくさんの売り物件が供給されれば、価格暴落時期などはとりわけ売りづらくなってしまうのは自明のことなのである。

団地とタワマンが重なって見える

タワマンを買った多くの投資家は当初、東京五輪による価格上昇を狙ったとされるが、賢い投資家はすでに売却し、大きな利益を得ている。五輪終了後に景気が悪くなり、あわてて売ろうにも思惑通りにいくとは限らない。

本来不動産が価値を有するのは土地であって豪華な建物ではない。東京のブランド住宅地の多くが実は河川流域や海岸沿いを避けて高台に発達していることは、まさに「台風や地震との闘い」を避けようとする人々の知恵だったのである。そうした意味で麻布や広尾、青山、六本木といったブランドエリアの不動産価値は今後とも保たれていくだろうが、本来高い価値のなかった土地に林立したタワマンの価値が上昇していくとは、少子高齢化が深刻になっていく日本においてはおよそ考えにくい。

かつて憧れの存在だった団地は高齢化・過疎化が進んでいる。

むしろ、これらのマンションを買った区分所有者や住民はやがて年をとる。そして建物も老朽化していく。やがてコモディティ(汎用品)と化したタワマンにも空き住戸が目立つようになると、資産価値を保ち続けていくことはますます難しくなっていくだろう。

それではタワマンは将来どんな資産となっているだろうか。日本は高度成長期から平成初期にかけて住宅はどんどん郊外へと拡散した。大量に首都圏に流入する地方からの人々の受け皿として建設されてきたのが団地だった。首都圏の多摩、愛知県の高蔵寺、大阪府の千里などがその役割を果たしてきた代表的なニュータウンだ。当時の企業エリートたちにとって、公団(現在のUR都市機構)などが開発した団地は「憧れの街」だったのである。