試合で負ければ、やっぱり悔しい
「オリンピック・イヤーの翌年は、正直やる気が出ませんよ(笑)。1年ほど活動休止する選手もいるくらいですから。しかしこれも、言い方はわるいけど、活動しながらサボる。翌年なら60%の力で試合に出る。2年目は70%、3年目は80%と仕上げていく。試合で負ければ、やっぱり悔しいからモチベーションにつながります。“燃え尽き症候群”みたいな受け身でなく、自分でコントロールしていくものです」
五輪の翌年は、自分に刺激を与えるために新しいことも試す。泳ぎのフォームを改良したり、練習環境やトレーニングプランを変更したり、トライ&エラーの時期に当てる。
同じことの繰り返しやマンネリはモチベーションを下げる。松田さんがバタフライと自由形の2種目を泳ぎ、リレー種目にも積極的に参加したのはその意味もあるそうだ。自分に刺激を加えてテンションを高めるための工夫。こうした積み重ねが、30代での五輪出場に結びついたのだろう。競泳の世界ではまさに偉業だ。
また、幼少期から指導を受けた久世由美子コーチの存在も大きかったという。
「コーチには『あんたならやれる』とよく言ってもらいました。32歳でリオ五輪に挑戦するときも、決心したのはその一言。今、様々なスポーツ選手を取材する中で、選手の可能性を信じてくれる人たちの大切さがよくわかります」
仲間の存在も大きい。松田さんが経営するトレーニングジム(クロスフィット)ではグループレッスンが中心だ。
「ひとり黙々とトレーニングするのは、意志が強くないと続きません。やはり仲間と競い合ったり、情報交換するのは、楽しくてトレーニング効果も高い。環境整備もモチベーションを保つには重要です」
オリンピック競泳銀メダリスト
4歳で水泳を始め、アテネ五輪、北京五輪、ロンドン五輪、リオデジャネイロ五輪の競泳日本代表。ロンドン五輪では、日本代表チームの主将を務めた。主な競技種目はバタフライと自由形。200mバタフライ、800m自由形の日本記録をもつ。