セブンの読みは、眞子さんは秋篠宮の意向をスルー(無視)し、5月頃まで発表はずれ込むのではないかというのである。

だが、もしずれ込んだとしても、発表内容は「圭さんと結婚します」となるのではないか。

女性自身は、美智子上皇后が知人に、眞子さんのことは、「見守るしかないでしょう」と洩らしたという言葉を手がかりに、眞子さんが皇籍を離脱しても結婚したいというのなら、致し方ないと考えているというのである。

消極的なものを含めて、2人は結婚へと進むと見ているのは2誌、様子見が新潮1誌、無期延期=破談と見ているのは週刊女性だけのようだ。

眞子さんが“月”を題材に詠んだ和歌の意味は

「望月に月の兎が棲まふかと思う心を持ちつぎゆかな」

これは今年の歌会始で、秋篠宮眞子さんが詠んだ和歌である。新潮(1/30号)によると、「“満月に兎が棲む”という言い伝えを信じていた頃の純粋な気持ちを、いまも持ち続けたいものだ」という意味だそうである。

今年のお題は「望」だったそうだが、この眞子さんの歌が物議を醸したそうだ。

月というと、2017年9月に開かれた眞子さんと小室圭の「婚約内定会見」を思い出す。記者から小室圭の印象を聞かれた眞子さんは、「太陽のような明るい笑顔」といったが、小室圭は「宮さまは、私のことを月のように静かに見守ってくださる存在」と、眞子さんを月に喩えた。

これが、「皇族を月に喩えた」と批判を浴びたのである。今回、注目を浴びる令和初の歌会始で月を詠めば、その時のことを蒸し返されるのは予想できたはずだ。

それでもあえてそうしたところに、「眞子さまなりの“挑戦”ではないかと拝察いたします」(歌会始の儀に携わった関係者)

さる歌人が、「短歌とは、何を題材にしたところで、心に秘めた思いが匂い立ってしまうものです。(中略)ですから“眞子さまは、物事がうまく運ばないご自身の状況と重ね合わせて詠んでおられるのでは”との解釈も、決して的外れではありません」と話している。

私はこう解釈した。眞子さんは圭さんを信じ、結婚したいと思っていた頃の純粋な気持ちを今でも持ち続けています、と。

眞子さんは、年の初めの歌会で、自分の心情と決意を歌に詠み込んだのだと、私は思う。

秋篠宮一家には一年中木枯らしが吹きすさんでいる

結婚否定派は、圭の母親と元婚約者との金銭トラブルが解決していないことばかりあげつらっているが、元婚約者がこの話を週刊女性に持ち込んだのは、2人が婚約解消してから5年近くも経ってからである。

元カノの息子が“玉の輿”に乗るのを聞いて、週刊誌にタレ込むというのは、その意図や内容の信ぴょう性、その人間の品性が疑われて当然だと思うのだが、なぜかこのケースでは、男性のいい分を疑うことなく週刊誌は載せ続けたのである。

「400万円ぐらい返せばいいじゃないか」「そんなこともできない小室圭という人間は眞子さんの相手にふさわしくない」といった無責任な批判がある。